ひげんぬの書き捨て場

書きたいことを書きたいときに

【過去の演奏会から】サントリーホール サマーフェスティバル2021「アンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)~(2022/11/5)

2021年8月24日(火)コンテンポラリー・クラシックスサントリーホール大ホール
●プログラム
ヘルムート・ラッヘンマン(1935~ ):『動き(硬直の前の)』アンサンブルのための(1983/84)
マーク・アンドレ(1964~ ):『裂け目[リス]1』アンサンブルのための(2015~17/19)日本初演
ピエール・ブーレーズ(1925~2016):『メモリアル(…爆発的・固定的…オリジネル)』ソロ・フルートと8つの楽器のための(1985)*
ジェルジュ・リゲティ(1923~2006):ピアノ協奏曲(1985~88)**
マティアス・ピンチャー(1971~ ):『初めに[ベレシート]』大アンサンブルのための(2013)日本初演

●出演
指揮:マティアス・ピンチャー
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
フルート:ソフィー・シェリエ*
ピアノ:永野英樹**

書いてなかった言い訳をさせていただくと、正直なところあの日体験した演奏、音が何だったのか、自分のなかで言語化できずにいました。
あのときから時間が経ち、記憶の鮮度が褪せたいまとなってはという話です。

そういえば、(これも)余談ですが、最近女優の中谷美紀さんがルイジ・ノーノのオペラ鑑賞記をInstagramで綴っているのを読みました。
率直な自己体験を言葉に綴る観察の鋭さ、作品に対する眼差しの深さ、感受性の豊かさ、そういったものすべてが溢れ出る文章に驚きました。
それを鑑賞からあのスピードで紡ぎだせる文才には脱帽しかありません。
一流女優のレビューには遠く及ばないと知りつつ、あの日の体験を振り返ってみたいと思います。

ラッヘンマンは、彼の代名詞といいますか、特殊奏法で噪音(ノイズ)を駆使した作品。
しかし、この日の演奏には耳をつんざくような不快感はなかった。
作曲はcomposeと英語で言いますが、「com~一緒に」「poseー置く」という語から成ります。
つまりは、諸部分を組み合わせて、構築するのが(西洋でいうところの)作曲なわけです。
そういう意味では、ラッヘンマンの作品も楽音と噪音をひとつの集合体へ構築する作品に思えました。
楽音/噪音(ノイズ)、始まり/終わり、その境界に切り込み、カテゴリーを曖昧にするような、不思議な体験でした。

リゲティのピアノ協奏曲では、ピアニストの永野秀樹氏が好演。
パリのコンセルヴァトワールを出て、フランスを拠点に活動する本格派です。
リゲティの作品はアフリカ音楽に影響を受け、非常に複雑なポリリズムが絡み合います。
あの複雑な楽譜を解き明かし、ひとつひとつのリズムや音色を分けて弾くのは、すさまじい聴感覚と触覚(=指)だなあと。
また、解説にもありましたが、ピアノの平均律とホルン、トロンボーンの自然倍音がぶつかりあうのは特殊な音空間を演出していました。

最後のピンチャーの作品は、終演後の静寂が特別な時間に感じられるような秀逸な一曲。
曲の終わりにも関わらず、その静寂は再び何かが立ち上がりそうな予感を孕んでいるようでした。
ドイツ系の指揮者、作曲家だが、非常に洒脱な作品を作る人だと思いました。
全体は非常に静かな空間を生み出し、そこから特殊奏法によってさまざまな色合いを帯びた音が生まれてくる様が繊細でした。
張りつめられた緊張感、誰一人として咳払いもすることなく守られる静寂。
これには観客も見事に作品に応えていたように思います。