CMGプレミアム 小菅優プロデュース『月に憑かれたピエロ』
2024年6月5日(水)19:00開演@サントリーホール ブルーローズ
ストラヴィンスキー:クラリネット独奏のための3つの小品より 第1番
ストラヴィンスキー:『シェイクスピアの3つの歌』
ラヴェル:『マダガスカル島民の歌』
ベルク:室内協奏曲より 第2楽章「アダージョ」(ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ用編曲)
シェーンベルク:『月に憑かれたピエロ』作品21
ピアノ:小菅優
ヴァイオリン&ヴィオラ:金川真弓
チェロ:クラウディオ・ボルケス
フルート&ピッコロ:ジョスラン・オブラン
クラリネット&バス・クラリネット:吉田誠
メゾ・ソプラノ:ミヒャエラ・ゼリンガー
夏の風物詩、サントリーホールのCMG(チェンバー・ミュージック・ガーデン)が始まった。
2024年の本年は、実はシェーンベルクの生誕150周年。
巷であまり大きく取り上げられていないが(取り上げてもあまり注目されることはないのかも)、業界内ではちょくちょくとこの作曲家にちなんだ企画やプログラムが組まれている。
小菅優による今回の企画も、注目を浴びたひとつと言えるだろう。
しかも、あの「ピエロ」をこの名だたる奏者で、となれば聴かずにはいられない。
そしてこの夜は期待を大きく上回り、高次元のアンサンブルを聴く機会に恵まれた。
歌唱のゼリンガーは、小菅との厚い信頼関係を築いている存在。
オーストリアのオーバーエスターライヒ州生まれで、リンツの音楽学校を出ている、オーストリアゆかりのアーティストだ。
「ピエロ」のシュプレヒシュティンメには、打ってつけの役だったのだろう。
それまでのプログラムと衣装をチェンジして、ピエロ風の化粧をして舞台に現れた。
この作品の委嘱と初演(シュプレヒシュティンメ)は、女優が行っているというのもミソなのだが、初演の際に真っ白な装束に包まれて舞台に一人立ち、その後ろに黒いついたてが置かれて観客から見えないように奏者たちが楽器を演奏したようだ。
その意味ではいわゆる一般的なドイツ・リートと比べて、「演技性」がこの作品を楽しませる要素にもなっているのだが、それが声としてもいい塩梅で盛り込まれていた。
歌声と語りのあいだを自由に行き交い、表現の幅が非常に広く、それらがドイツ語の響きから自然に発生させられおり、まさに神業といわざるを得ない表現であった。
きっと初演もこんな風にして行われたのだろう、という想像を掻き立てるほど、真に迫る表現力を見せられた。
楽器は弦の金川とボルケス、そして小菅のピアノ伴奏が白眉。
「ピエロ」で注目されるべきは、特殊な声もさることながら、楽器の組み合わせ(編成)の妙である。
持ち替えの楽器を駆使して、全21曲を通してどれひとつとして同じ編成がかぶることはない。
限られた素材のなかで、多彩な音色実験が繰り広げられるのだ。
金川は巧みにヴァイオリンとヴィオラを交代させ、緩急自在なテンポ感、質感の良い弱音を効かせて最初から最後まで緊張感を持たせてアンサンブルを引っ張っていた。
小菅のピアノが巧みに前景と後景を交代させ、全体を包み込む。
これまで小菅の演奏をあまり聴く機会がなかったのだが、なんとなくソリストとしてのイメージが強かった。
ところがこの日の演奏を振り返ると、室内楽や伴奏ピアニストとしてとても良い仕事をしている。
そういえば歌詞対訳の冒頭に小菅による解説が数ページ書かれていたが、作品を丹念に調べている様子が伺えた。
それでいて枝葉末節に陥らず聴きどころを絶妙に捉えていてとても読みやすい。
信頼できる奏者たちをコーディネートできることなども考えると、自らも出演する室内楽のプロデューサーや仕掛け人として光るものを感じさせられる。
シェーンベルク作品というと、調性や十二音技法では隅から隅までガッチリ組まれた構築性が特徴だ。
強制的に楽譜を読み込ませて従わせようとする支配性というか、隙を許さない作品が少なくない。
ところが、「ピエロ」を含む無調時代の諸作品は、絶妙に余白や隙を生んでいるのが個人的に好きなところ。
シュプレヒシュティンメひとつをとっても、音高を楽譜にきちんと記しておきながらそのメロディを歌ってはならない、とト書きに書いてある。
なんとも解釈し難い部分であり、逆にそれが奏者それぞれの解釈を入り込ませる「遊び」になっているように感じる。
この時代の作品がスケッチや書き直しをほとんど残しておらず、ほぼ一筆書きで一気呵成に書かれたとしか思えない様相を呈していることも無関係ではないだろう。
新たに見つけ出した音楽語法を持て余し、テクスト(歌詞)をはじめあらゆる異ジャンルの芸術と手を結ぶようになり、音楽とそれらが良い緊張関係を生んでいる。
結局、この時代に見つけられた新たな実験の数々は、その可能性を組み尽くされることなく未完のプロジェクトとして残っているが、それが独特の魅力を発していることは間違いない。
この日の演奏は、そんな緊張と遊びを絶妙なバランスで綱引きをするようなアンサンブルを実現していて、冒頭から最後まで一気に引き込まれた。