乃木坂46「ネーブルオレンジ」を分析&考察してみた
乃木坂46が38枚目となる新たなシングル「ネーブルオレンジ」をリリースしました。いやちょっと、前回のアルバン・ベルク《7つの初期の歌》から、あまりにも方向性が違いすぎないかい!?と思われるかもしれません。
はい、その通り、自覚しています。でも、ちょっと寄り道というか浮気したくなったのです。言い訳させていただくと、ベルク作品の分析篇は絶賛執筆中ですが、楽譜の解読に時間がかかっています!その間に乃木坂から新しいシングルが、それもとっても心を惹きつけるような良いシングルが、出てしまったのですもの。
この「旬」を逃しては罪というものです。
実はここ1~2年、坂道グループ、特に乃木坂46を「にわか」に追っています。と言っても、ライブにもミーグリにも未だ参加したことがないので、やはり「にわか」になるのでしょう。
もともとその畑にいなかった私からすると、そこまで踏み出すのが少しハードル高くて、、、行ってみたい気持ちはあるのですけどね。
しかし、このグループの作り出す「乃木坂らしい」雰囲気とクラシック音楽とのあいだに親和性を感じるときがたびたびあります。音大に進むほどのピアノの腕前をもった生田絵梨花さん(既卒)の存在や、ドビュッシー「月の光」が挿入される18枚目シングルの「逃げ水」は最たる例ですが、ピアノやストリングスが前面に出てくるサウンドと言い、気づけばその楽曲を私も聴くようになっていました。
そんな乃木坂が新たなシングルとして出したのが、5期生の単独センター経験者である井上和さんと中西アルノさんがWセンターを務める「ネーブルオレンジ」です。これが、めちゃくちゃ良い。巷では少し地味だけど噛めば噛むほど良さがでてくる「スルメ曲」なんて言われていますが、私的には噛んだ瞬間からドストライクでした。それも、個人的にはクラシック好きな人には、特に刺さる曲なんじゃないかと思っています。それでいて、どこか何回も味わって、読ませようとする奥行きの深さを感じさせます。
というわけで、今回はこの「ネーブルオレンジ」を超個人的な視点から分析&考察してみようと思います。
********************************************
乃木坂46《ネーブルオレンジ》
作詞:秋元康、作曲:中村泰輔、編曲:樫原伸彦
0. 分析の前に
これからお話する内容は、楽譜が出てきたり、音楽の専門用語も多少出てくることになると思います。なるべく分かりやすく説明できるように心がけますが、「難しい!」「楽譜が出てくるだけで拒否反応が!」という方は読み飛ばしていただいて、全く構いません。
また、クラシック音楽をかじり乃木坂楽曲も好きな一視聴者が好きなように語っているだけの文章です。多少、こじつけがましい解釈や偏った見方もするかもしれませんが、「こうやって聴く人もいるんだなあ」くらいに思っていただければ幸いです(「この曲はこうやって聴くべし!」と論じるものではありません)。音楽の聴き方や感じ方は、人それぞれあってしかるべきです。私のような捉え方もできる、この楽曲の懐の深さというか奥深さが、少しでも伝われば良いなと思っています。
分析にあたって参考にさせていただいたのは、以下2つのYouTubeの動画です。
①Crahs
全体の分析はCrahsさんのこちらの動画を参考にさせていただきました。すでに多くの視聴者の方が見ている動画かと思います。Crahsさんの動画では、乃木坂をはじめとする坂道グループやJ-POPの楽曲について、分かりやすくポイントを押さえながら解説しています。分析ではコード進行などの専門的なところまで突っ込みながら、何より楽曲やグループへの“愛”をもって分析しているので、見ている方も楽しく、深く楽曲について知ることができる動画になっています。
②Aile Short Piano
私は耳コピに自信がないので、音取りはこちらの動画を参考にさせていただきました。また、ピアノの鍵盤の画像は下記のリンクから使わせていただきました。
1. 全体の構成(分析表)
|
構成 |
イントロ① |
|
メロディ |
花びらモチーフ+a’ |
|
小節数 |
4+8 |
|
調(キー) |
C |
|
1番 |
構成 |
Aメロ |
Bメロ |
サビ |
|
歌詞 |
⑤窓の外に 雲ひとつない空 |
|||
|
メロディ |
A(a+a’) |
B(b+c) |
A(a+a’) |
|
|
小節数 |
8+8 |
8+8 |
8+8 |
|
|
調 |
C |
Fm / C Am / Em |
C |
|
構成 |
間奏①(イントロ②) |
|
メロディ |
a’ |
|
小節数 |
8 |
|
調 |
C |
|
2番 |
構成 |
Aメロ |
Bメロ |
サビ |
|
歌詞 |
⑮ボールみたいに上へと投げながら |
|||
|
メロディ |
A’(a) |
B(b+c) |
A(a+a’) |
|
|
小節数 |
8 |
8+8 |
8+8 |
|
|
調 |
C |
Fm / C Am / Em |
C |
|
間奏②~ラスサビ① |
構成 |
間奏② |
Bメロ |
ラスサビ① |
|
歌詞 |
|
㉓少し厚めのその皮の中に |
||
|
メロディ |
A(a+a’) |
B(b+c) |
A(a+a’) |
|
|
小節数 |
8+8 |
8+8 |
8+8 |
|
|
調 |
C |
Fm / C Am / Em |
D♭ |
|
ラスサビ②~アウトロ |
構成 |
ラスサビ② |
アウトロ |
|
歌詞 |
㉙なんてセンチメンタルな記憶 |
|
|
|
メロディ |
C/A(a+a’) |
花びらモチーフ |
|
|
小節数 |
8+8 |
8+8 |
|
|
キー |
D♭ |
||
※「歌詞」に記した数字は詩の行数を表わしています。
①メロディの反復性
まず、「お?」と思ったのが、Aメロとサビが全く同じメロディで歌われることです。よくあるJ-POPの形は、「Aメロ(A) → Bメロ(B) → サビ(C)」と、サビのメロディを聴かせるために、Aメロ、Bメロ、サビで異なるメロディを使う形だと思います。この場合、サビに向かって「展開」あるいは進行してゆくイメージです(例えば、槇原敬之さんの「どんなときも」なんかはこの形と言えるでしょう)。それに対して、この楽曲では「Aメロ(A)→ Bメロ(B) → サビ(A)」と、サビでAメロを「反復」します。もちろん、聴けば分かるとおり、サビはきちんとサビらしい盛り上がりを見せます。しかし、歌のメロディは明らかにAメロを繰り返し、サビで展開するというよりは「回想する」ような作りになっています。この「反復」による「回想」が、この曲のポイントのひとつになる気がしています。
②静的で古風な構成
2番以降のメロディも見て行くと、やはり「A → B → A(サビ)」と、同じ節回しで反復されています。こういう歌のことを特にクラシック音楽の歌曲だと「有節歌曲形式」と言ったりしますが、J-POPは実はこの形式によるものがほとんどと言っても良いです。特に、この曲に関してはAメロもサビも同じメロディなので、非常に限られたメロディの素材で作られていると言えます。
そのため、構成全体は動的というよりは「静的」、「古めかしさ」や「古風な」イメージを私は持ちました。絵に例えるならば、綺麗に装飾された額縁(フレーム)が施されているような絵画を連想させます。その意味では、このシングルのジャケ写が、ロココ風の絵画を思わせるようなエレガントな衣装と構図をしているのは、楽曲のイメージともぴったりきました。
③シンプルな調(キー)
調(キー)のなかで注目するべきは、まずCメジャー(ハ長調)がメインになっていること。Cメジャーは、♯も♭もつかない調です。ピアノでいう「ドレミファソラシド」の白鍵の音だけで構成される、親しみやすくシンプルな調と言えます。特に歌のメロディは、ラスサビ①以降を除いて、この白鍵だけしか使っていません。
④Aメロと「ネーブルオレンジ」の歌詞が響き合う
歌詞を見て気が付くことは、タイトルの「ネーブルオレンジ」が歌詞のなかで繰り返し表れることです。数えてみると、計6回。これだけ同じ言葉、しかもタイトルと同じ言葉を繰り返す楽曲も最近ではあまり例を見ません。
注目すべき点は、この「ネーブルオレンジ」が表れる場所です。まず、歌の初めと終わり、つまりこの楽曲の歌詞は「ネーブルオレンジ」で始まり、「ネーブルオレンジ」で終わります。この言葉そのものが、歌詞に枠を作っているのです。
さらに、Aメロとサビ(ラスサビ含む)が同じメロディで作られていることは、すでに①で見た通りですが、このAメロのメロディは、必ず「ネーブルオレンジ」という歌い出しで表れています。どうやらこの楽曲のメイン・メロディとも言えるAメロは「ネーブルオレンジ」を表わすメロディとして、この言葉と密接に関わっているとみて良いでしょう。
歌詞と音楽、どちらを先に作りどのように制作を進めていったのかは分かりませんが、結果としてお互いに響き合うように作られていることが分かります。
メロディの反復によって静的で古風な構成を作り、シンプルな調を使っていること、そして同じ言葉を繰り返し使っている点は、昨今のJ-POPにおいてはとても大胆な選択だと個人的には思いました。ともすると、「つまらない」「地味」あるいは「ダサい」なんて印象を与えかねません。でもこの楽曲、全くそんな風には感じません。
2.メロディの分析
ここでは、この楽曲の主な構成要素である「イントロ」「Aメロ」「Bメロ」の3つを取り上げて、フレーズごとに分解しながら見ていきます。多少、細かい話になるので、読みにくい方はすっ飛ばしてもらって構いません。
①イントロ~「花びらモチーフ」の登場

冒頭からピアノで入ってくるこの「ラソド」という3つの音の形(音形)の連続、印象的ですよね。先に言ってしまうと、実は3つの音から成るこの音形が、曲全体を貫く「モチーフ」となります。Aメロ以降を見ていくと、この音形がメロディのなかでたびたび登場します。このように曲全体で繰り返される音形をモチーフと呼び、メロディどうしを繋いで曲全体にひとつの物語のような連関を作り出します。
イントロでは、この「モチーフ」が繰り返されることで、リズムにも面白いことが起こっています。4分の4拍子ですから、均等に四分音符で拍を刻むと「1・2・3・4・/1・2・3・4・」となります。ところが、ここでは「ラソド」が八分音符で「3・3・2」と繰り返されることで、「1・・2・・3・/1・・2・・3・」と、3拍目が短い3拍子のようになります。つまり、不均等に拍を刻むことで絶妙にリズムのズレが起こり、ゆらゆらと揺れ動くようなリズム感や、「次に何が始まるのか?」という高揚感を生み出す効果につながります。ここにストリングスも合わさって、いかにも「乃木坂らしい」サウンドが前面にでてきます。
このイントロの部分、いろんなイメージが喚起できそうです。例えば、ネーブルオレンジの香りが漂ってくる感じとか、私は特に「ラソ」のところが花びらが舞い散るように感じます。「ラソド/ラソド/ラソ ラソド/ラソド/ラソ ラソド・・・ひらっ ひらっ ひらひらっ ひらっ ひらひらっ・・・」
・・・そう聞こえるかはさておき、勝手にこの「ラソド」の音形に分かりやすく名前をつけて、「花びらモチーフ」とでもしておきましょう。
②Aメロ~「ネーブルオレンジ」のメロディ
Aメロは、前半(a)と後半(a')のフレーズ各8小節で構成されています。フレーズaは井上和パート、フレーズa’ は中西アルノパートですね。
1)「花びらモチーフ」からの歌い出し
フレーズaの頭、歌詞“ネーブル(オレンジ)” は、花びらモチーフ「ラ・ソ・ド」で始まるんですね。イントロで欠片のようだった3音は、「ネーブルオレンジ」へとつなぐモチーフだったことが明かされます。音楽的には、 イントロからAメロへの繋がりがスムーズになり、物語の「序」から「第1章」へとページをめくるような感覚になります。
先のイントロのイメージで捉えるならば、ネーブルオレンジの香りに誘われて、あるいは、花びらが1枚「僕」のところに落ちてくる。そこから「君」との記憶(=歌)が呼び起こされる。このイントロからAメロの歌い出しへの流れは、そんな情景思い浮かばせるような非常に映像的な演出に感じました。
2)「ヨナ抜き音階」

このフレーズaは、「ヨナ抜き音階」でできています。「ヨナ抜き音階」とは、「ドレミ(ファ)ソラ(シ)ド」のうち、四と七(ヨナ)番目にあたる「ファ」と「シ」の音が抜けた音階のこと。通常の音階が7音から成るのに対して、5音のみから成ることから五音音階とも呼ばれます。この音階は童謡や民謡によく使われているので、親しみやすく懐かしい印象を与えます。J-POPでも比較的よく使われる音階で、米津玄師さんの「パプリカ」なんかもこの音階を全面的に使っています。
ヨナ抜き音階は「懐かしさ」と同時に、少し専門的な見方をすると、調(キー)の中心性をあいまいにさせる音階でもあります。調がハッキリするためには、実は「シ」の音の存在が音階にとって非常に重要な役割を持つのですが(音楽用語では「導音」と言います)、逆にこれが不在になると、少し調がぼかされた(和らいだ)印象になります。
3)フレーズa' 「春は何かを思い出させる」
これに応答するフレーズa’(中西パート)に注目してみましょう。やはりここの歌い出しも「ラ・ソ・ド」(花びらモチーフ)。でも、その後ろがちょっと違いますね。「思い(出させる)」の「ミ・シ・ド」、中西さんの綺麗な高音がとても効くところですよね。フレーズa(井上パート)では「ドからラ」まで(6度の音域)に限られていたのが、ここでは「シ→ド」と1オクターブ上まで突き抜けてきます。そして、ようやくここで「シ」の音が出てきて、Cメジャーであることをハッキリとさせます(コードもドミナントコードが出てくる)。
そして、この「ミ・シ・ド」の音形。実は、頭の「ネーブルオレンジ」に出てきた「ラ・ソ・ド」(花びらモチーフ)の音程関係を逆から辿ると、この形になるのです(クラシック音楽だと、これを「逆行形」と言います)。「ラ・ソ・ド」の横に鏡を置いたように、「ミ・シ・ド」上がっていく形になりますね。
「花びらモチーフ」をネーブルオレンジの香りや花びら、すなわち「春」の象徴として捉えるならば、その逆行形「ミ・シ・ド」がぼやけていた調(=Cメジャー)をハッキリとさせるこの場面は、まさに”春は何かを思い出させる”という歌詞の心象風景を描いたようなとても詩的な音の使い方だと思います。
4)「拍」/フレーズの区切り方
フレーズの区切り方にも注目してみましょう。Aメロを構成するフレーズは、全て小節の頭(拍の強いところ)ではなく、弱拍(アウフタクト)から始まっています(これが実は曲の最後の最後で効いてきます!)。また、フレーズaは、タイで結ばれていることからも分かるように、拍の裏で終わっています(楽譜中の赤矢印)。
一方、フレーズa'は、4小節ごとに拍の表で終わっています(楽譜中の青矢印)。拍の強いところで終わる(青矢印)と、フレーズの終わりがはっきりするといいますか、区切られる感じが出ます。一方で、拍の弱いところで終わる(赤矢印)とフレーズの終わりがぼやかされる、あるいは余韻を残すような区切り方になります。文章で例えるならば、「。」で区切るか、「、」や「~て」のように、次の言葉へと続いていくようなイメージでしょうか。
すこし拍を「1, 2, 3, 4...」と数えながら聴いてみると分かりますが、特にフレーズaは区切り目がぼかされる分、拍が数えづらく感じると思います。何か強い意志をもって刻みながら歌うよりは、ぼんやりと何かを思い浮かべながら歌っているイメージです。これに対して、フレーズa'は「思い出させる」「誘うんだ」のフレーズ終わりで拍がハッキリと示されます。Aメロをきちんと区切る役割を果たしつつ、「思い出させる」のCメジャーの存在がよりハッキリ浮かび上がってきます。
③Bメロ~”マイナー”チェンジ

Bメロではマイナーコード(Fm)が出てくることで長から短へ、明から暗へ移り変わり、場面が変わったことを印象付けます。ところが、ここではドミナント・コードが出てこないので、フレーズbの調はFmとCのあいだを、フレーズcの調はAmとEmのあいだを揺れ動いているような感覚になります。しかも、歌のメロディは相変らず♯も♭もなく白鍵しか使っていません。この変化させるもの(コード)とさせないもの(メロディ)のバランスが、秀逸に感じさせるところです。
フレーズb頭は「ソ・ファ・ド」の音形になっています。これ、実は音の形は少し変わっていますが(跳躍が5度→4度)、やはりここにも「花びらモチーフ」が派生したものが使われていると考えられます。やはり、物語のページをめくるような作用がここにも働いているわけですね。
フレーズcですが、ちょっと難しい(というか細かい)話をします。ここのフレーズは、「ド」と「ファ」の音が抜けた五音音階が再びでてきます。「ソラシ(ド)レミ(ファ♯)ソ」のヨナ抜き音階、あるいは「ミ(ファ♯)ソラシ(ド)レミ」の二六(ニロ)抜き音階とも捉えられます。抜けている音自体は同じなのですが、メジャースケール(長音階)かマイナースケール(短音階)かに拠ります。私としては、マイナーコードの響きとの親和性を考えるならば、ここは後者のニロ抜き音階と捉えた方がすんなりきます。そして、このニロ抜き音階は、「和」なイメージを与える音階としてよく使われます。「そして初めて~」の部分がなんとなく和の感じの響きがするのは、実はこのニロ抜き音階の使用によるところが大きいと思います。
そして、このフレーズcの頭の三音「ミソラ」。う~ん、さすがにこじつけかもしれませんが、やっぱりここにもフレーズa’の後半で出てきた、「鏡・花びらモチーフ」(ミ・シ・ド)との関連性を見出したくなってしまいます。
3.「2番」以降の音楽の展開
①実はただの反復ではない
全体の構成で触れたとおり、この楽曲は「A・B・A(サビ)」というメロディのセットが、「2番」と「間奏②~ラスサビ①」でも反復される形をとっています。
ところが、よく見ると、ただ同じ繰り返しをしているのではないことに気づきます。「2番」では、Aメロが半分のフレーズ(a)に省略され、「間奏②~ラスサビ」ではAメロが楽器だけの間奏に、Bメロが半分のフレーズ(c)に省略されています。繰り返しながら省略したりすることで変化をつける方法は、音楽的には単純な繰り返しを避けるテクニックとしてこの楽曲に限らずよく使われます。
しかし、この「ネーブルオレンジ」の場合、この点が歌詞や楽曲の雰囲気と響きあうような気がしてなりません。つまり、繰り返しながらも二度と同じものはやってこない。一方向に進むのではなく、螺旋状に繰り返しながらも変化してゆく。それは、私たちの時間の感覚や「季節」の捉え方のようで、こういって良ければ、とても日本的な「時」の感じ方な気がします。「もののあはれ」とでも言いたくなるような切なさを感じます。
②「間奏②」~言葉のない歌
面白いことに、2番では省略されたAメロが、「間奏②」ではピアノのみで完全に再現(反復)されます。間奏①が2番へのイントロの役割になっているのに比べると、この間奏②はただ間奏というよりも、Aメロの歌が楽器(ピアノ)に預けられた「言葉のない歌」としても捉えられます。 歌詞付きのAメロが「僕」の心情を歌っているとすると、ここではネーブルオレンジから呼び起こされる記憶にただ身を任せているような、「僕」の心象風景を描いているように捉えられます。(この間奏②、MVではメンバーが眠っている演出になっています)。
③「ラスサビ①・②」の転調
ラスサビでは、Cメジャーの半音上のD♭メジャーに転調します。この曲のなかで唯一ハッキリと転調するところと言っても良いでしょう。ピアノの鍵盤で見ると一目瞭然ですが、D♭メジャーは「ファ」と「ド」以外がすべて黒鍵となります。それまでの非常にシンプルなCメジャーからガラッと雰囲気が変わります。一気に色が広がるような、満開の花の景色が開けるようなイメージです。
④ラスサビ②「なんてセンチメンタルな記憶」
この”なんてセンチメンタルな記憶”以降の部分をどう捉えるかは、考察の余地が残されていて意見も分かれるところだと思います。私は、ここがこの楽曲の一番の見せどころと言っても良いと思っています。
まず、歌のメロディを見ると、これまで出てきたことのないフレーズが使われています。同じ「ファ」の音を刻んでいますね。この同音の連続は、「歌」というよりも「語り」に近いような印象を与えます。乃木坂楽曲だと、「ここにはないもの」のAメロがこれと同じ作りをしていると思います。
つまり、ここは「僕」のモノローグと捉えることができます。そう考えると、構成上は「Cメロ」として、これまでと全く異なる部分として置きたくなります。実際、そのように捉えても差し支えないと思うのですが、私はあえて「ラスサビ②」としました。
その理由は、この部分のバックミュージックにあります。特に、ピアノの音をよーーーーーく聴いてみてください。
...ピアノがサビのフレーズ(Aメロ)をもう一度、丸ごと繰り返しているのが聴こえるでしょうか?特にカラオケ版で聴くと一目瞭然かもしれません。ここでもう一度、これでもか!というほど「ネーブルオレンジ」のメロディを背景に使っているんですね。
つまり、前景(歌)には「僕」のモノローグが、背景には「ネーブルオレンジ」のメロディという立体感のある音楽になっています。しかも、「僕」のモノローグが八分音符で拍どおり刻むのに対して、Aメロはその分析で見たとおり弱拍で入るため、2つのメロディが絶妙に対比を成して、交差して聴こえてくる作りになっています。
そして、間奏②で見たとおり、歌(Aメロ)のメロディが楽器に預けられているということは、「僕」とは違うところに歌があると解釈できます。ここでの「僕」は「ネーブルオレンジ」から喚起された、ありし日々の記憶から遠ざかったところにいる、ぼんやりとその光景を眺めながら語りに入っているイメージが沸いてきます。まるで、夢から醒めた瞬間の、夢の記憶がかすかに残っているような感覚。何とか繋ぎとめようとするけれども、気づけば記憶の彼方に消え去ってしまう。そして、最後に残されたのは、ひとつの「ネーブルオレンジ」のみ。淡い夢だったと悟る...そんな読後感を残してくれるような、終わり方に感じます。
この部分の歌詞を見ると、ここだけ「3行+3行」になっています(他は4行、若しくはその半分の2行)。どうしても、ソネット(十四行詩)を連想してしまいます。ソネットとは、ヨーロッパの叙情詩の形のひとつで、十四行から成る短い詩のこと。詩の行を「4+4+3+3(=12)」で構成して、短い歌を作ります。これを特に得意としたのが、かのシェイクスピアです。シェイクスピアのソネットは、まさに季節と恋を歌ったものが多く、この楽曲とも近い雰囲気を持っています。乃木坂では、確か6期生の春組・夏組の紹介でシェイクスピアのソネットからの一節が引用されていたことで、考察が深められていましたね。
ただし、シェイクスピアのソネットの場合、詩行構成は「4+4+4+2」という「3つの4行+2行」のパターンが代表的です(詳しい説明は省きます)。ちょうど「起承転結」のような構成になっており、3番目の4行で展開があり、最後の2行が結びとなることが多いです(シェイクスピア詳しい方すみません、超ざっくりで)。この楽曲の歌詞を見ると、最後は「3+3行」となっているので詩行構成は異なります。ただ、面白いのが音楽の構成を見ると、「3つの「A・B・A」セット+ラスサビ②」という構成で、ちょうど3番目の「A・B・A」でラスサビへの転調が起こり、ラスサビ②が楽曲を締めくくる「結び」の役目を果たしています。この構成が、非常にシェイクスピア的なソネットと似ているなあ、、、と、個人的には感じます。このあたりは、詩に詳しい方の見解も待つことにします。
4.MVの構成と演出
せっかくなので、MVについても少し書かせてください。すでに公式に発表されているとおり、MVは「バラバラの生活を送る少女たちが、偶然同じ電車・行き先に向かう」というストーリーで構成されています。この点も少しヒントにしながら、MVの構成を整理してみました。
●MVの構成
|
音楽 |
イントロ~1番サビ |
2番Aメロ~ラスサビ①前 |
ラスサビ①以降 |
|
明度 |
明 |
→ |
暗 |
|
服装 |
私服 |
制服(白) |
ドレス |
|
時間 |
朝 |
夕 |
夜 |
|
現実 |
→ |
夢 |
|
|
視線 |
交わらない |
同じ方向 |
お互いに交わる |
1)「イントロ~1番」、2)「間奏①~2番~ラスサビ①前」、3)「ラスサビ①以降」の3段階で、あらゆる点がグラデーションのように変化していくのが分かります。
まず分かり易いのは、映像の明度が1)では鮮明ですが、2)→3)と進むにつれて、オレンジ風の柔らかいタッチになっていきます。時間も、1)朝→2)夕→3)夜と移り変わっていることが分かります。それから、メンバーの衣装も1)私服→2)白い制服→3)ドレスになっていきます(列車のなかもレトロになっていきますね)。つまり、現代から過去へと遡っているものと解釈できます。さらに、メンバーどうしの「視線」も、1)では交錯しているところから、2)では同じ方向を見つめ、3)でお互いの視線が交わるようになっていきます。
2)→3)の間奏②では、メンバーが眠りに入っているのは、先に見たとおりですが、おそらくこれは現実から夢へと入っていく演出だと思われます。すなわち、夢の世界でようやくお互いの「視線」が交わり、別々だったものがひとつになっていくストーリーなのだと思いました。面白いのが、ただ1)→2)→3)と一方向へ進むのではなく、ところどころで1)=現実をフラッシュバックする瞬間があります。つまり、現代(現実)を回想しながら過去(夢)へと進んで行く、時間の逆行が起きています。これはなんとも幻想的な時間感覚の演出だなあと思いました。
こうした演出ができるのは、「ネーブルオレンジ」という楽曲の雰囲気のみならず音楽や詩を読み込んでいること、そしてそれを演じるメンバーたちへのリスペクトや愛をもって作られた演出だと思いました。
5.まとめ&考察~結局「ネーブルオレンジ」とは何なのか
タイトルでもある「ネーブルオレンジ」。結局、この「ネーブルオレンジ」とは何なのだろう?というのが、最大のポイントになります。
曲の歌詞は、「僕」がネーブルオレンジを手にしながら、「君」との恋に思いを馳せる物語。オレンジの甘酸っぱさと恋の記憶が混ざりあう「青春の恋」の記憶となっています。もちろんそう捉えて、何ら差支えないと思います。一方で、「ネーブルオレンジ」という存在はもう少し抽象化されていて、読む人・聴く人によってさまざまな連想を抱かせてくれる可能性が秘められている気がします。
①「時間」から捉えた「ネーブルオレンジ」
この「ネーブルオレンジ」を時間から捉えてみるとどうなるでしょうか。曲の歌詞は、明らかにその視線が「過去」へと向いています。「未来」に向かったものではないことは感じ取っていただけると思います。そして、何度も何度も繰り返し表れる「ネーブルオレンジ」は、ありし日々の記憶を呼び起こすものでした。音楽もこれと呼応するように、Aメロをサビでも回想しさらに構成そのものが反復しながらも少しずつ変化する螺旋状の時間感覚を描くがごとく構成されていました。
話は少し変わりますが、私は実家に帰ると、いつも妹が小さいころ紙に書いた絵を目にします。なんてことのない、どこの家庭の子どもでも書くような絵です。おそらく30年近く前のものです。そのころの記憶は、私も当然あるわけですが、30年も経つとそんな日々が遠くに感じることがあります。むしろそれが日常です。けれど、その絵を前にすると、30年前の妹が鉛筆をにぎり、紙に触って、描いた。その確固たる事実を何よりもの説得力をもって眼の前に叩きつけられる感覚になります。あの30年前の日々はいまは去ってしまったけれど、確かにここにあった、そんな不思議な気持ちをたびたび呼び起こしてくれます。
「ネーブルオレンジ」はこの絵と少し似た存在に感じます。いまはもうここにはない、けれどあの日々は確かにそこにあったことを示してくれるもの。ビデオテープのように、過去をありのままに再現するものではないけれど、生々しい感触とともにたびたび立ち返っては自分に呼びかける記憶の痕跡やかけら。つまり、「過去」と「いま」を心のなかでつなぐもの、あるいはその心そのものと言えるかもしれません。
そう考えると、この歌詞の「君」とは、片想いを恋の相手と見ることもできれば、かつての自分自身、さらにはありし日々そのものと見ることもできるかもしれません。あのときには分からなかったけれど、いま思えばかけがえのない瞬間・日々だったのあのとき。そのようにたびたび振り返っては回想する独特の香りを備えた記憶。この楽曲はそうした人間らしい感覚を青春の甘酸っぱさへと集約した作品だと思いました。
②「空間」から捉えた「ネーブルオレンジ」
もうひとつ注目したいのは、この「ネーブルオレンジ」という言葉がもつ空間、特にその「中間性」です。「中間性」とは、両極にあるものではなく、そのあいだにあるものを指します。つまり、他と明らかな区別をつけていたものの境界があいまいになり、すべてを包み込むような空間とも言えます。この空間こそ、この楽曲の持つ雰囲気とぴったりくるのです。まさに、音楽もこれと呼応するかのように、「ヨナ抜き音階」が調の中心性をぼかした柔らかいメロディを作っていました。
考えてみると、このネーブルオレンジの歌詞に出てくる言葉の数々は「中間性」に満ちています。まず、「オレンジ」は中間色ですし、「春」は中間季節そして出会いと別れの季節です。さらに、列車(駅と駅のあいだ)、「駅」(往来の場所)...
そういえば、今回のWセンターというポジションも、中心がひとつに定まらないという意味ではこの「中間性」がよく表されているように思います。Wセンターの二人を「月」と「太陽」に例えているのが私にはとてもしっくりきます。Crahsさんの分析にあった、どっちも月だしどっちも太陽、でも月と月、太陽と太陽ではなくて、どっちかが月ならどっちかが太陽という言葉が、私には「中間性」を的確に言い表わした言葉だと思いました。考えてみれば、オレンジ=夕焼けを連想させ、夕焼けは太陽と月が出会う唯一の瞬間であり、儚くも無類の美しさと温かい空間を作り出します。
この楽曲がもつ雰囲気は、その一瞬の奇跡とも呼べる空間を作り出しているように思えてなりません。
③乃木坂46そのものとしての「ネーブルオレンジ」
さらにこの「ネーブルオレンジ」を踏み込んで解釈するならば、乃木坂46そのものではないかという気さえしてきます。乃木坂に所属する彼女たちを個人単位で見れば、アイドルとして人生は、決して長いものではなく、10年も在籍していれば長いほうになります。それは永遠のものでもありませんが、彼女達にとっては人生のかけがえのない瞬間であり、かけがえのない日々であったことを呼び起こす場所に他なりません。
1期・2期の草創期からのメンバーも全員卒業し、早約2年。その直接の血を受け継いだと言っても良い3期メンバーも卒業ラッシュが続き、新たな6期生も入って世代交代も進むなか、変わっていくものと変わらぬもの、ありし日々があったからこその今に受け継がれる自分たちを改めて見直している時期にも来ているのでしょう。そして、いまこのメンバーで活動ができる時間はこれまでとこれからの乃木坂から見てもわずかな瞬間であり、生まれも育ちも違う彼女たちがその瞬間にひとつにいられる瞬間は奇跡とも呼べるものでしょう。この先の人生を歩み出す彼女たちにとっては、乃木坂46という存在はまさにネーブルオレンジのように、繰り返し思い出してはかけがえのない空間だったことを想起させる場所になっていくのだと思います。
●最後に~書いてみての感想
はじめは短くまとめて出そうと思っていた本稿でしたが、連想(妄想)が連想(妄想)を呼び、気がづけばこんなにも長くなってしまいました。
繰り返しになりますが、本稿で書いた聴き方・見方・考え方はあくまで私見に過ぎません。聴く人によって色んな感じ方、聴き方をさせる懐をもっているのがこの楽曲であり、何より乃木坂の魅力だと思っています。ぜひ、たくさんの方にたくさん聴いてほしい一曲ですね。
【勉強の記録】アルバン・ベルク《7つの初期の歌》の管弦楽法(作品概略篇)

いつものごとく、前置きから入ります。
私はオーケストラというものに、どうも苦手意識があります。
もちろん、オーケストラの曲はこれまで何度も聴いてきましたが、自分がオーケストラの楽器をやったことはないし、そもそも大きな集団の中に入り込むのが苦手です。
楽譜を読むにしても、ソロやアンサンブルのすっきりしたものの方が馴染みやすい。
そんな程度の理由から、今まで避けてきたのが「管弦楽法」でした。
3~4年ほど前から作曲家の先生にオンラインで和声の指導を賜っているのですが、和声と並行して具体的な作品を取り上げてその楽譜を読み進めることもしてもらっています(月1回ほどのペースですが、とても充実した学びの機会になっています)。
ここ数年は管弦楽のスコアを読む機会をいただいています。
特に管弦楽版以外の原曲がある作品を取り上げて、原曲と見比べながらスコアを読むレッスンを受けています。
今回私からリクエストして取り上げていただいたのが、ずっと気になっていた作曲家であるアルバン・ベルク。
ベルクは新ウィーン楽派のなかでも聴くのが好きで、《ヴォツェック》や《ルル》のような大きな作品も良いですが、特に《抒情組曲》や《室内協奏曲》といった小編成の作品をよく聴いていました。
そんなベルク作品のなかに、《7つの初期の歌》という原曲が歌とピアノの歌曲で、後に管弦楽伴奏に編曲された作品があります。
これを少しずつ読み進めてきたので、今回はその勉強の記録をブログにまとめてみたいと思いました。
本当は一回分の記事で収まるようなものにしたかったのですが、書けば書くほど、この作品の管弦楽法についてまとめるのが難しく、それなりの文字数になってしまいました。
一記事5,000文字という自らに課した目標もありますので、今回はまず作品の概略に留めることにしました。
1.アルバン・ベルクについて
アルバン・ベルクAlban Berg(1885~1935)は、アーノルト・シェーンベルクArnold Schönberg(1874~1951)、アントン・ウェーベルンAnton Webern(1883~1945)とともに、20世紀初頭のオーストリア(ウィーン)において ”前衛的な” 音楽を開拓した「新ウィーン楽派」の作曲家として知られる人物です。ベルクとウェーベルンはシェーンベルクの高弟にあたり、三者は生涯に渡って密接な関係を築いていくことになります。
師シェーンベルクが「無調」「十二音技法」という従来の機能和声から離れた音楽語法を確立していくなかで、ベルクとウェーベルンも自らの作品にこの語法を積極的に取り入れていきます。しかし、その語法の扱い方は三者三様で、ベルクの場合、シェーンベルクの理念と異なってこの新しい音楽様式を伝統的な機能和声法やロマン派的な音楽様式と折衷させる道を追究しました。おそらく、彼が生涯愛して止まなかった文学への傾倒も少なからず影響していたのでしょう。彼の関心は、文学と音楽の融合によるドラマを実現することにありました。もちろんそこにはワーグナーの楽劇やR. シュトラウスのオペラといった先人たちの偉大な功績があり、ベルクは新しい音楽様式でそこに連なる芸術を生み出すことになります。すなわち、無調によるオペラ《ヴォツェック》(1922年)、十二音技法によるオペラ《ルル》(1935年)。この大規模で劇的な作品が彼の代表作として知られています。
*ベルクという作曲家の概要はこの程度に留めておきますが、その私生活もなかなか波乱に満ちていて面白いです。関心のある方は、こちらの本がオススメです。
2.《7つの初期の歌》について
ベルクは、創作活動の初期に大量の歌曲を書いています。一説には1900年から08年の間に100曲を越える声とピアノのための歌曲を作曲したと言われています。生前に出版されたこの種の歌曲作品はわずかに限られており、以降の声楽曲はオペラをはじめとする管弦楽が中心となります。しかしながら、ベルクの初期の創作が歌曲に傾いていたことは、生涯にわたって音楽と文学の融合を模索し続けた彼にとって、重要な出発点になっていたと考えられます。
《7つの初期の歌Sieben frühe Lieder》は、7曲から成る歌曲集で、歌とピアノ伴奏による編成を原曲としています。後年、作曲者自身によって管弦楽伴奏の編曲が施されました。まずはその作品データを簡単にまとめてみます。
作曲:1905年~08年
初演:1907年、ウィーン(第3曲、第4曲、第6曲の3曲のみ)
出版:1928年(献呈:ベルクの妻ヘレーネ)
管弦楽編曲:1928年(原曲出版時)、同年11月6日ウィーンにて初演、出版は1955年。
管弦楽編成(全体)/Fl 2 [2Fl: picc] - Ob 2 [2 Ob: Ehr] – Cl 2 — BCl 1 – Fg 2 – CFg 1 - Hr 4 - Tp 1 – Tb 2 – Timp – Perc – Hp – (Cel) - Str [10-8-6-4-4]
|
|
タイトル |
詩 |
作曲年 |
楽器編成(管弦楽版) |
調 |
|
1 |
夜 |
カール・ハウプトマ |
1908 |
Full |
fis moll |
|
2 |
葦の歌 |
ニコラウス・レーナウ |
1908 |
Fl 1 – Ob 1 – Cl 1 – BCl 1 – Fg 1 – CFg 1 – Hr 1 – Tp 1 – Tb 1 – Hp – Str [1- 1- 1- 1 - 1] |
|
|
3 |
夜鳴きうぐいす |
テオドール・シュトルムTheodor Storm |
1905-06 |
Str [10 (5- 5 con sord.) – 8 (4- 4 con sord.) – 6 (3 – 3 con sord.) – 4 (2 – 2 con sord.) – 4] |
D dur |
|
4 |
夢の冠Traumgekrönt |
ライナー・マリア・リルケ |
1907 |
Fl 2 – Ob 2 – Hr 3 – Tb 2 – Perc (Cym) – Hp – Str |
|
|
5 |
室内にて |
ヨハネス・シュラーフ |
1905 |
Fl 2 – Ob 1- Ehr 1 – Cl 2 –BCl 1 – Fg 1- CFg 1 – Hr 2 – Tp 1 – Tb 1 – Perc (Cym) – Hp |
|
|
6 |
愛の讃歌Liebesode |
オットー・エーリヒ・ハルトレーベン |
1906 |
Cl 2- BC l – Fg 2- CFg – Hr 4 – Tp – Perc (Sn) – Hp – Str |
fis moll |
|
7 |
夏の日Sommertage |
パウル・ホーエンベルクPaul Hohenberg |
1908 |
Full |
2.作品の成立背景
《7つの初期の歌》の各7曲は、1905年から08年にかけて作曲されました。しかし、作曲当時からこの7曲を歌曲集としてまとめることは想定されていません。本作が《7つの初期の歌》の曲集の形として現れるのは、1928年の出版時です。ベルク自ら7つの歌曲を選び曲集にまとめ、妻ヘレーネに献呈しました。ユニヴァーサル・エディションの校訂者R. シュテファンによると、ベルクとヘレーネの記念年にあたる1917年(二人の出会いが1907年とされている)に、《7つの初期の歌》に収録された7曲を含む10作品の歌曲が綺麗な浄書譜で残されています。1928年の出版も、おそらく同様に妻ヘレーネとの記念年を機に出されたものと考えられています。この7曲が数ある歌曲のなかでも作曲者にとっていかに重要な作品であったかを物語っています。
この曲集の出版と時を同じくして管弦楽編曲も行われました。原曲と管弦楽編曲の間に約20年の隔たりがあることは、特に注目すべきでしょう。ベルクの創作史において同様の作品は他に例がありませんし、何よりこの間にベルクは音楽語法においても大きな変化を遂げています。つまり、原曲の作曲当時は、シェーンベルクのもとでまだ作曲を学んでいる時期であり、無調による音楽様式に踏み出す前段階であるばかりか、彼の”処女作”とも言える《ピアノ・ソナタ》作品1も完成前にあたります。対して、管弦楽版を編曲した1928年は、すでに無調の大作オペラ《ヴォツェック》を完成、初演を成功へと導き、十二音技法による作曲にも踏み出して《ルル》の作曲に取り掛かるころです。
3.管弦楽版の楽器編成
管弦楽版は、2管編成を基本とした10型の弦編成となっています。同時代の管弦楽伴奏付き歌曲、例えばベルクの《アルテンベルク歌曲集》(1912年)やR.シュトラウスやマーラーの作品群などと比べても、大規模な編成とは言い難いです。おそらく、オペラティックな歌唱ではなくリート歌曲として作られた歌唱声部に対して、音量のバランスを鑑みた編成と考えられます。また、次の記事で詳述する対位法的なテクスチュアを明瞭にするため、あえて大きすぎない編成を取っているのでしょう。
4.「曲集」としての管弦楽版
「2.作品の成立背景」で見た通り、《7つの初期の歌》は曲集の出版と同時期に管弦楽編曲が行われています。その経緯からも、曲集と管弦楽化の間には何らかの関連性があると見て良いでしょう。
まず、各楽曲の編成を見ると、第1曲・第7曲を除いて5曲はすべて異なる編成を作っています。管弦楽の編成によって、個々の楽曲の性格を描き分けていると見て良いでしょう。さらに、各楽曲の編成の特徴を次のとおり並べて、全体を俯瞰するとその配置にシンメトリーな構成が見られます。
第1曲 全編成
第2曲 小編成(室内管弦楽)
第3曲 弦楽合奏
第4曲 小編成
第5曲 木管合奏+ハープ
第6曲 小編成
第7曲 全編成
分かり易い対称性は、第1曲と第7曲、そして第3曲と第5曲の弦楽合奏⇔管楽合奏です。
「小編成」に分類した第2曲・第4曲・第6曲の編成を詳しく見て行きましょう。第2曲は、オーケストラと同じ楽器構成を持ちながら、各パート1名ずつのみで構成される「室内管弦楽」の編成を取っています。この編成はシェーンベルクの《室内交響曲》(1906年)をはじめ、ベルクも《室内協奏曲》(1927年)という別の作品で扱っています。また、第4曲と第6曲は、管楽器が部分的に、しかも対称的に用いられています。つまり、第4曲の木管楽器はフルートとオーボエの高音楽器のみ、金管楽器はホルンとトロンボーンの中低音楽器のみ使っていますが、これに対して、第6曲の木管楽器はクラリネットとファゴットの中低音楽器、金管楽器はホルンとトランペットの高・中音域楽器のみ使っています。
すなわち、楽曲ごとに編成を変えることで響きにコントラストが生まれ、楽曲の個々の性格を描き分ける多様性を生み出す一方、シンメトリーな配置によって曲集全体に構造を与えていると考えられます。ベルクは、シンメトリックな構造を忍ばせることを頻繁に行った作曲家であり、例えば《ヴォツェック》の各幕にも器楽曲の形式を取り入れているほか、《ルル》でも音列やドラマの展開にシンメトリーな構造を取っています。この作品の管弦楽編成に見るシンメトリーな配置も、曲集を組むにあたってベルクが意図的に作った構造と見て良いでしょう。
終わりに
次回の記事では、個々の楽曲を取り上げながら、管弦楽法上の特徴を分析的に見て行きたいと思います。すでに書き始めているのですが、いやはや、久しぶりに書いてみると、音楽を言葉で書き表わすのはこんなにも骨が折れる作業かと。。。たぶん大学のレポート以来でしょう。
ブログの方向性を考えてみた
最近、ブログを書くことが楽しいです。日々感じたことや考えたこと、調べたことや勉強したことを書き留め、色んな人のブログを読み漁って内容やまとめ方を参考にさせていただいています。
ブログを書いている皆さん、とにかく記事の完成度が高い。なかには「あぁ、自分もこういう記事を書きたかったんだよなあ」と嫉妬すら覚えることもあります。しかも時間が限られているなか継続して書いているのですから、その熱意たるや感心と敬意を覚え、大きな刺激を受けています。
「そうそう。ブログを通してこういうことがやりたかったんだよな」と。これほど何かを「書こう、書きたい、ブログ面白い」と思えている状態は、正直ブログを始めて以来、初めてかもしれません。
同時にブログを書いてきて、見えてきた問題点もあります。今回は少しそのことと向き合って、今後のブログの方向性を探っていきたいと思います。
自分のブログの問題点
1. 文体の統一〜「です・ます」か「だ・である」か〜
「どっちかに決めろよ」と思われるような、些細な問題かもしれません。ところが、私にとっては意外と大きな問題で、文体は書く人の「姿勢」が出ると思っているからです。自分の文体ついて見直すことは、このブログで私がどのような姿勢を示すかを考えることと言っても良いでしょう。
これまでの投稿を振り返って、「です・ます」と「だ・である」の二つが混在していることに最近気がつきました。この記事を書くときもですが、たいてい私は「だ・である」で書き始めて後から「です・ます」に替えていくことが多いです。書く内容によって変えているところもありますが、どうも書く側が文体を決めるように見えて、実はどこか文体に書く側が引きずられるところがあると思うのです。
2.書く時間とエネルギー
「書く時間がない」と言えば、あまりに単純な問題に見えるかもしれません。ところが、意識的に書く時間を作らないと、本当に時間がないのです。特に仕事がある平日は、仕事のほかに「育児」「家事」「睡眠」と必要な時間に割り振られると、1日24時間のなかで自分のために使える時間は本当に限られています。
具体的な解決策として、「朝早起きして時間を作る」「書く文量を減らす」「日を分けてコツコツ書いていく」など色々と手はあると思います。しかし、一方で考えなければいけないのは、「エネルギーの問題」です。
「書くモチベーションをいかに保つか」と捉えても良いでしょう。日を分けて書いていくと、自分の文章を冷静に振り返ってブラッシュアップすることができます。しかしその反面、書き始めたときのエネルギーはだんだんと冷めていってしまうのです。「情報の鮮度」とでも言うのでしょうか、それが日を追うごとに落ちて行くのが自分でも分かるのです(ここでいう「情報」とは、自分の考えやアイデアも含みます)。
確かに「これも書いた方がいいか」「これは削るか」という推敲は、文章を熟成させるためには必要な行程です。しかし、自分は思っている以上に完璧主義に陥ってしまっているのか、推敲のあまり文章が終わらず、変に冷めて「これは本当に自分が書きたかったことなのか」とか「こんなの読んで誰が面白いのか」とか考え始めてしまうと、続きを書かなくなって結局筆が折れてしまいます。
現に、私の下書きにはそうやって途中まで書いて放置されている記事がちらほら。。 冷蔵庫の食材が、料理を施されないと鮮度は日々落ちていくのと一緒ですね。食べごろを過ぎて終いには腐って食べられなくなってしまう。それではもったいないですよね。
3.ブログテーマの整理
とにかく書きたいと思ったらブログを書いてきた私ですが、過去の記事を見返していると、やはり雑然としているなあと思うのです。「これ、なんのブログ?」という問いに一言で答えられないのです。
もちろん、「書きたいことを書きたいときに書きたいまま」始めた「雑記ブログ」なので、ある程度話題の幅はあってもいいと思います。しかし、自分の部屋が汚いとどうも落ち着かないあの感じに似ていて、やっぱり気になってしまうのです。私自身がそう感じているのですから、況や読者をや。
このあたりは、「バランス」と一括りにしてしまえばそれまでなのですが、 ある程度書く内容を整理して絞っていくほうが、書きやすいし読みやすいのではないでしょうか。
4.ブログで書くことと書かないこと
3のブログテーマの整理とほぼ共通することなのですが、あえて4つ目にこれを挙げさせてもらいました。というのも、最近ブログの更新頻度を上げるため、「今日できたこと」という名の記録をつけ始めてみました。自分が「今日できた」と思うことを箇条書きでメモしているだけの日々の記録です。
この「今日できたこと」をつけ始めて気づいたことが2つあります。
・記録をつけることは勉強の継続にかなり有効
・でもブログには向かない
ただメモを書くだけの作業ですが、思いのほかモチベーションとなり、ドイツ語の勉強は習慣化されています。私の場合、ある程度人に見られている状態で記録をつける方が有効なことも分かりました。
しかしながら、続けてみて「私のブログで書くことではない」というのが結論です。というのも、私の中でブログは文章を書いてまとめるための媒体にしたいからです。「料理を出す場所であって、素材を並べる場所ではない」とでも言うのでしょうか。「書いてまとめる」とは、自分が集めてきた雑然とした情報を整理して読者の前に出すことだと思います。同時に、それは情報を体系化して知識として自分に刻むことでもあると思っています。
例えば、「研究ノート」のように途中経過や未完成なものを出すのは、全く無しではないでしょう。しかしそれはあくまで「ここまでまとめられた」というものを出すことであって、ただ記録をつけていくだけの作業は、他の媒体でやったほうが良いという結論になりました。
今後のブログに向けて
以上、大きく4つの点を自分のブログが抱えている問題としてあぶりだしてみました。それぞれひとつずつ検討していく前に、大前提として今一度考えたいことがあります。
ブログで何をしたいのか?
なぜ私がブログを始めたのか、ブログで何をしたいのか。この根本的な部分を明らかにしないと、個別の問題をいくら扱っても先へ進めないのではないかと思うのです。もともとブログを始めるときに描いていた「音楽で何かを書きたい」とか「ブログをきっかけに文章を書く仕事に繋げたい」という欲求は今でもありますし、ブログを続ける理由になっています。しかし、あくまでそれらは派生してきた個別の欲求に過ぎず、もっと根本的な欲求があるような気がしています。
改めて考えてみると、まず次の2つのことが思い浮かんできます。
①文章を書くことがしたいから
②自分の好きなことについて書きたいから
何てことないシンプルな動機です。「好きなことを書きたいから」としても良いのですが、①は書くこと自体への欲求、②は自分が好きなことを書いて表現すること。どちらにしても、それならただ自分のノートへ手書きで日記をつけるだけで良い。どうしてブログという形で、ネットで不特定多数の人々に見せる必要があるのでしょうか。
③人に読まれる文章を作りたい。
④書くことを通じて人と繋がりを持ちたい。
この2つが私のなかでブログで書くための動機になっていると言えるでしょう。
つまり、私のやりたいことは、自分本位の欲求(①・②)と、他者が関わる欲求(③・④)とに分けられそうです。この二つはバランスをよくとっていく必要があり、前者(①・②)に比重がかかりすぎると、非常に独りよがりなブログとなってしまう。対して後者(③・④)に比重がかかりすぎると、他者からの承認欲求のあまり、「自分のやりたかったことって何だっけ?」となってしまう。
まずは、上記の私がブログをやりたいことを認識したうえで、常にそのバランスを意識しながらこれからの執筆を進めたいと思います。
1.文体 ⇒ 「です・ます」を基調とする。
私のブログの文体は、「です・ます」を基本にしていきたいと思います。
私のなかで「です・ます」と「だ・である」の使い分けの大きな違いは、意識を他者(読者)か自己のどちらへ向けるかだと思うのです。
「だ・である」は自分から自分へ語りかけるモノローグとして、言葉を自らに刻み込むような感覚。対して、「です・ます」は読者を意識して、語りかける言葉として使うものだと思うのです。
では、どちらを使うか。ブログがいくら自分の楽しみや好奇心を満たすためのものとはいえ、人に読まれる以上、そして「人との繋がり」を私が築き上げたいと望む以上、やはり読者目線を基本に書くべきだと思います。「です・ます」の文体で書くことで、読者の目線を意識して丁寧に書く姿勢につながっていってほしいと思います。
2.時間とエネルギーの問題 ⇒ 3つの目標設定
これに関しての解決策は、「自分のなかに制限を作る」ということしか思い浮かびません。すなわち、時間も文字数も、自分の好きなようにできるのがブログです。しかし、無限にあると思っていると、その制限の無さが却って不自由にさせている気がするのです。
そこで、まずは以下の目標を立てることでみました。
①時間/週に2時間書く時間を設ける
②文字数/ひとつの記事は5,000字まで
③更新頻度/月にひとつ記事を投稿する
現状を見て立てられる目標は、せいぜいこの程度だろうと思います。当面の目標なので、今後続けるなかで見直していく可能性も、もちろんあります。
3.ブログテーマ ⇒ 4つのテーマに集約
私のブログで扱うテーマは、大きく次の4つに集約できそうです。それぞれについて簡単に書くことを挙げていきたいと思います。
①芸術、音楽
②読書
③北海道、移住・二拠点生活
④考え事、日常
①芸術、音楽
ブログを始めたころは美術館やコンサート等の芸術鑑賞記をメインに書こうと思っていました。ですが、そもそも自分の鑑賞機会が少ないことに(今更)気づきました。もちろん、できるだけ色んなものを観に行きたいと思っていますが、お金や時間や興味の問題から、どうしても限られてきています。今後は、自分の興味のある作者や作品について、調べたり考えたことを書く機会が多くなってくるのではないかと思います。
②読書
「読書」といっても色んなテーマがありますが、普段は漫画からビジネス書、文学作品まで色んなタイプの本を読むのが日々の楽しみになっています。そこで、「今、この本を読んでいます」とか、その本から感じたことや考えたこと、いわゆるレビューをネタバレに注意しながら、書き留めたいと思っています。
③北海道、移住・二拠点生活
私の人生でいつか実現したいこととして「北海道と関東の二拠点生活」があります。実はブログや書き物を始めた理由も少しこれに絡んでいて、場所を選ばず続けていける仕事を作りたい、と思っています。二拠点生活の実現に向けて、日々情報を収集して模索していますが、それだけでなく「実現したい」と発信することが必要ではないかと思いました。更新頻度は少ないかもしれませんが、この話題についても触れていきたいと思います。
④考え事、日常
まさにこの記事のようなものです。特定のテーマに限らず、ブログ執筆や日常生活を送るなかで、ふと感じたことを書いていきます。旅や趣味の釣りの記録なんかもここで更新するかもしれません。
4.「今日できたこと」の記録は、X(旧Twitter)へ
「今日できたこと」や「ひと言ドイツ語作文」は、Xのアカウント(https://x.com/hige_nne)でやっていくことにしました。
私は学生時代から、ドイツ語の勉強を細々と続けています。最近、海外の方と関わる機会もあって、ドイツ語の勉強に改めて力を入れたいなと思っています。勉強法や成長記録など、機会があればブログで発信したいと思いますが、基本的には日々の積み重ねなので、Xの方で綴っていくことになると思います。
Xは、単純に日々の記録やメモを書き残していくのに、とても便利なツールだと思っています。
終わりに
ここまで書いてきて、読み直してみると、やっぱりスッキリまとめるのがヘタクソだなあと思ってしまいます。書く時間もそれなりにかかってしまいました。もうこのあたりは、数をこなしていくしかないんだと思います。しかし、今回整理して考えたことが、今後のブログ執筆に少しでも良い方向に働いていくと良いなと思います。
次に書く内容ですが、今勉強している、とある音楽作品について書きたいと思っています。今度こそ筆を折らずに、少しずつ書いていきますので、どうぞ温かく見守っていただければ幸いです。
今日できたこと(3月10日)
昨日は記録飛ばしてしまいましたが、また今日からちまちまとつけていきましょう。
◎今日できたこと
・ドイツ語
→Duolingo 10分
→Goethe C1 Textbuch Schriftlecher Ausdruck 進め始める 1時間程度
→瞬間作文 20分
・我が子と戯れる
→ミルク、おむつ替え。
→今日は近くまで買い物兼お散歩。外に出かけるのもだいぶ慣れてきたね。
・家事
→朝は掃除機、朝昼晩の支度と洗い物。明日からの弁当用に少し作り置きできました。
・夕方に一杯だけビール🍺
→しばらく飲まないうちにだいぶ弱くなったきているのか、そのあと1時間程度寝落ち。。
本日は1日休みをいただき、週末から三連休でした。
連休も終わり。また明日から頑張りましょう。
Heute habe ich einen Tag frei genommen und hatte seit diesem Wocheende drei Tage frei.
Die freien Tage sind jetzt vorbei. Lass uns ab morgen wieder unser Bestes geben !
【読書】時間の隙間にはエッセイ本を
育児休暇が明けて、最初の土曜日。
今日は久しぶりに我が子と丸一日一緒に過ごす日でした。
そして朝から息子が4月から入園する保育園へ訪問。
いざ入園が決まったときは、嬉しい気持ちはもちろんありましたが、生まれて間もない我が子を預けるのがすでに寂しくて。
0歳から預けるのを決めて本当に良かったのかな、とどこか不安な思いもありました。
今日、園のなかを実際に見て先生たちとお話しをしてみると、園の雰囲気はとても明るくて、先生たちも優しくてしっかりしていて、
きっと息子は色んなことをここで体験したり、学んでくるんだろうな、と想像することができて安心しました。
久しぶりに少しだけまとまった時間もできたので、
ふと、「最近、本を読めていなかったな」と思い、本棚をなんとなく眺めていました。
育児休暇中は、体系的に知識がまとめられた本をむさぼるように読んでいました。
それはそれで好きな読書なのですが、もう少し本の中の世界観にゆっくり浸れるようなものはないかと。
でも長編の小説を読むには、毎日積み重ねられる時間がないし、かといって凝縮された詩を読むほど集中的なエネルギーを使いたくはない。
私はこういうとき、エッセイ本に手が伸びます。
読書好きな方は、よく「旅先に持っていく本」を考えると思いますが、私の場合はこのお題にも比較的エッセイ本が候補にあがってきます。
その特徴としては、
・ひとつひとつの章が程よい長さで、最初のページからめくらなくても好きなところから読んで良い。
・各章が独立していながら、本全体もひとつのテーマでゆるやかなまとまりを成している。
旅や休日のちょっと暇を持て余したとき、コーヒーやビールのお伴に、好きなときに好きなところまで読めるのです。
そんな「時間の隙間」を絶妙に埋めてくれるエッセイ本が私は好きです。
今日、引っ張り出してきたのは次の3冊。
森貴史/藤代幸一「ビールを〈読む〉」

ビールも、ドイツも、その文化史も好きな私にとっては、「待ってました!」と言わんばかりの一冊。
たしか、札幌に住んでいたときにブックカフェで見つけて「ジャケ買い」しました。
一杯のビールから、その土地の食、文化、歴史へと広がっていく、実は学術的なエッセイ本です。
今日くらいはビールを片手に読みふけりたいです。
杉本秀太郎「ひっつき虫」

京都へ出張した際、書店で見つけた一冊。
花、音楽、絵画、文学、旅の風景が描かれながら、全編とおして見えてくるのは、杉本氏の鋭い「眼」とユーモアあふれる語り口。
その眼と語りを借りながら、独自の世界観にじっくりと浸ることができます。
又吉直樹「東京百景」

妻から薦められて読み始めた一冊。
言わずとしれたお笑い芸人・芥川賞作家の又吉直樹氏によるエッセイ本。
一文一文からセンスが光る、やっぱりただものじゃないぞこの人!と衝撃を受けました。
でもその語り口はどこか寄り添うようで、「あぁ、なんか感じ方似ているな」と共感を誘うところもあります。
<今日のドイツ語作文>
皆さんは、どんなエッセイ本が好きなのでしょうか。
旅先に持っていったり、隙間時間に読む本はどんな本ですか。
Was für Essays lesen Sie gern?
Welche Bücher nehmen Sie auf Reisen oder für die Lückezeit mit?
今日できたこと(3月7日)
◎今日できたこと
・朝は7時起き
→6時ごろに目覚め、6時半ごろから起きようとしていたのですが、、 睡魔に負けてしまいました。行きの電車の中でも寝てしまうほどだったので、連日の疲れが祟ったのか、あるいは花粉症の薬の影響か、、。でも天気が良かったおかげか、1日スッキリ過ごせました。
・ドイツ語
→Duolingo、スピード作文 10ふんずつ(日課)
→DW Hören(Video thema)前よりは聞き取れるようになってきたか?
職場復帰後の一週目を無事に終えられました。
今日はもう少し、我が子と戯れてあげたいと思います。
Meine erste Woche nach der Rückkehr zur Arbeit habe ich endlich geschafft.
Ich möchte heute noch etwas mehr mit meinem Kind spielen.
今日できたこと(3月6日)
本日は息子のお宮参り。
初めてベビーカーを使って電車での移動が続いた一日でした。
ベビーカー使ってみると、色んなことが分かりますね。
改札狭いなあとか、エレベーター動いてないと困るとか、歩道橋渡れないとものすごい遠回りしなきゃいけない道とか、、
普段自分だけが歩いているときとは違うところに気づくことができますね。
自分の勉強のなかでできたことは、以下のとおり。
ドイツ語
→Duolingo 1ステップ
→瞬間作文
最低限の日課ですが、まあそんな日もあります。