ひげんぬの書き捨て場

書きたいことを書きたいときに

【雑記と鑑賞記】ブログのサーバーを止められそうになった話、テリー・ライリースペシャルライブ@神奈川県立音楽堂(2023/3/5)

 


少し時間もできたことだし、久しぶりに何か書こう、と思ってパソコンの前に座っている。
前回の更新は昨年の11月だから、約4か月ぶりの更新となる。
いやはや、自分で数えていて、継続力のなさに情けなくなる。
けれども、こうして自分の好きなことを好きなようにゆっくりと書ける時間が大変愛おしい。
ちょっと近況を踏まえつつ、昨日観てきた公演の鑑賞録でも書きたいと思う。

実は、前回の更新から今日までの間に、ブログ存続にかかわる大きな危機があったのだ。
このブログを運営(?)するにあたり、僕はサーバー代を月1,000円ちょっとくらいで借りている。
その支払いを、知らず知らずのうちに滞納していたのだ。
「知らず知らずのうちに」というのは、何となく責任逃れがしている感があるので、きちんと説明すると、サーバー代の支払いに使っているクレカが有効期限を迎えたのである。
もちろんクレカ自体は新しくしたのだけど、サーバーの支払いに登録しているクレカ情報の更新手続きを忘れてしまったのだ。
まあでも結局は家賃や電気代の滞納みたいなあれと同じ感じ。悪いのは僕だ。
あと15日ほど経っていたら、このブログごと強制的に抹消されていたのだとか。
あぁ、怖い怖い。
…と言いつつ、消えてもそんなに大した記事を残していないから、まあいっかとなりそうだけど。
とにかく滞納はよろしくないです、ごめんなさい。

そうこうしているうちに、いつの間にか年も明けて、東京へ越してから2月でちょうど2年経った。
なにか変わったかと言われると、凡そ変わったことはないのだけど、ようやっと環境の変化に馴染んできた気がする。
仕事は相変わらず気怠いが、以前ほど週末が終わる「終末感」(自分で言って気に入っている)もないし、何となく自分が住んでいる場所の景色に目が馴染んできた気がする。
ただ、この時期のスギ花粉は本当に辛い。今年は特に辛い。
つい一週間ほど前に数日札幌へ行ってきたのだけど、本当に天国のようだった。
スギ花粉がないというだけで、札幌への再移住を夢見る理由の説明は十分に果たしていると思う。

そんなスギ花粉に犯されながら、昨日は神奈川県立音楽堂までテリー・ライリーのスペシャルライブを観に行ってきた。
テリー・ライリーは今年6月で御年88歳。「ミニマル・ミュージックの父」として知られる、まさに生ける伝説だ。
ライリーのライブは今回の前にも2度日本初演作を控えた公演が企画されていたが、コロナ禍で2度とも中止。
精力的な巨匠は、その間に日本へ移住し、現在は山梨県に住んで創作活動を行っているそうだ。

ミニマル・ミュージック」は、60年代のアメリカで生まれた音楽ムーヴメント。
ライリーのほかにはスティーヴ・ライヒも進んでミニマル・ミュージックを作っているし、我が国では久石譲もその影響を多分に受けてミニマルな音楽を書いている。
「ミニマル」というだけに、極短い音型をひたすら繰り返すのが特徴で、モチーフや和声の複雑な展開を主とするヨーロッパの音楽とは離れた手法と言えるだろう。
と、言うと質素で変化も何もないつまらない音楽だと思われがちだが、むしろこの反復パターンが少しずつズレることで浮かび上がる変化が面白い。
この反復パターンの上にさらに重なる旋律(らしきもの)や、音色の変化が伴うことで音楽が非常に大きな広がりを見せる。
単なる一過性の現代音楽の現象にとどまらず、ジャズやロック、映画音楽などジャンルを越えて今に与えている影響も大きい。

ともすると、無機質な音楽に捉えられがちなミニマルであるが、昨晩のテリーのライブは、そのイメージを払拭するのに十分すぎるほどだったろう。
舞台上にはちょうど三角形をつくるように、グランドピアノ(ピアノ)と電子ピアノ(キーボード)2台が並べられ、キーボードの周囲にカホンなどの小さな楽器も置かれていた。
杖をつきながらゆったりと舞台上に現れたテリーは、色とりどりの模様の入ったパーカーとバンダナを巻いた、なんともポップでオシャレな恰好。
休憩なしの約1時間半。ライブなので、事前に曲目も発表されていなかったが、私が聴いたところでは以下の7曲が演奏された。
※5曲目と6曲目の順番が怪しいが、あしからず。

1曲目 テリーのピアノソロ(グランドピアノ)。ジャズ風の和音や即興的なパッセージが散りばめられ、個人的にはキース・ジャレットのケルン・ライブを彷彿とさせるような演奏だった。ライブで演奏されたなかでは、おそらくこれが一番長さをもった曲だったのでは。

2曲目 テリーのピアノ(グランドピアノ)・ボーカル、共演の宮本沙羅の太鼓やボーカルが加わる。1曲目が都会を連想させるような曲だとすると、この2曲目は同音・同和音の反復をベースに民俗的でプリミティヴな印象を与える。ラーガ教室も行っているテリーだが、インドやアフリカの音楽も取り入れた曲だったのだろうか。

3曲目 テリーと宮本のキーボード2台で。これぞ「ミニマル」と言えるような、極小の音型をひたすら反復しながらそのパターンを変化させる。シンセサイザーのように手元で音色を変えているのも面白かった。これを人の手で演奏するのは結構難しいはずなのだが、変にずれるところもなかったように思う。ところで、「ミニマル」を聴くと耳が繊細な人は気持ち悪くなって途中で退席したりすることもあるが、昨日観たところではそのようなお客さんもいなかった。

4曲目 iPad2台を使った音楽。スピーカーからさまざまな音響が発せられて、多重録音のように響きが重なっていく。iPadでは各音響を出すタイミングを操作していたのだろうか。

5曲目 ピアニカ2台を使った曲。バグパイプ風のドローン(持続音)の響きが印象的。テリーが、鍵盤ハーモニカで即興的なパッセージを織り込みながら巧みに操っていた。

6曲目 テリーのピアノに宮本のパーカッション(カホン)が加わる。リズミカルで、蒸気機関車を彷彿とさせるような、ブギウギ風の音楽も感じさせる(このあたり素養がないので違っていたらすみません)。

7曲目 テリーと宮本のキーボード2台。左手の反復パターンをベースに、キーボードの音響効果で無数の光を放射するような音が広がる。

以上がそれぞれの曲から受けた印象だ。
とにかく無数の音楽がジャンルレスにテリー・ライリーという一人の人間のなかに流れ込んでおり、それらが非常にポップな色を帯びて表れてくる。
そういえば昨日のお客さんたちも、クラシックの評論家もいながら帽子をかぶった若者からご老人、ご夫婦や外国人の家族連れなどとにかく幅広い客層でいっぱいだった。
それだけこのテリー・ライリーの音楽のもつ器が大きいというのか、あのサンタクロースのような長い髭がよく似合う人柄を感じさせるような、温かい響きに包み込まれるような音楽だった。

テリーの演奏で印象的だったのは、アコースティックな音色が非常に芯を食った音が出ること。
特にピアノを弾くときの和音の響きがとても心地よく、同音連打や速いパッセージも一音一音輪郭と芯がくっきりとした音を出す人だと思った。
また、昨日使われていた音楽堂のピアノ(スタインウェイ)が良かった。
年季は入っているが、音楽堂の歩みの深さを感じさせる音で、状態もよく保たれている。
このホールのキャパと音響によく合った響きを出すなあと思った。

ライブで良い音楽を味わったあとで、一杯飲みたいような気分に浮かされながら横浜の街を少しぶらついた。
昨日の横浜は海の湿気も混じって生温かくも、春を感じさせる爽やかな夜だった(花粉さえなければ)。

音楽堂のロビーでは昼間の公演のアーティストたちによる展示も開催されていた。
音楽堂の概観。歴史あるホールだが、造形はモダン。
みなとみらい地区は近年こんなロープウェイもできたりして、夜の光が一層明るくなった気がする。

久しぶりの投稿で少し長くなってしまった。
普段から書きたい気持ちはあるのだけど、実際には誰も見ていないと分かりながら「見られるかもしれない」という意識のもとで何かを書くには、落ち着いた時間と体力が必要だ。
少し書き溜めて次の日に回しても、平日の仕事帰りは「あー、疲れた」といっては「うーん、ちょっと飲みたいな」となってしまう。
そして次の日に回し、さらにその次の日に、、と日が経っていつの間にか記憶も感覚も色褪せて、書く気力も失せてしまう。

まあそんなことで更新の頻度は相変わらずひどいものだが、自分の好きでやっているブログだし、書き続けることが大切だよね、と思いながら細々と続けている。