ひげんぬの書き捨て場

書きたいことを書きたいときに

札響東京公演2022(2022/2/11)

札幌交響楽団東京公演2022
ベルリオーズ「劇的交響曲《ロメオとジュリエット》より《愛の場面》」
伊福部昭「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」
シューマン交響曲第2番」

指揮=ユベール・スダーン、ヴァイオリン=山根一仁
管弦楽=札幌交響楽団コンサートマスター=田島高宏

2月8日(火)、札幌交響楽団が東京に来てくれました。
毎年開催されている札響の東京公演ですが、調べたところによると、2020年2月以来の開催だったようです。
昨年はコロナの影響で開催されなかったようです。
コロナ第1波が押し寄せる間際で開催したとき以来というのだから、今回の公演は札響にとっても、東京の札響ファンにとっても格別の思いだったのではないでしょうか。

(前置き)演奏会レビュー前にちょっと浸らせてください。

かくいう私も格別な思いを持った客の一人。
札響は、札幌に住んでいた4年間で聴きに行く機会が結構ありました。
酒を飲みながら今日の札響の演奏を語らうほどには、身近な存在に感じるようになりました。
しかしながら、札幌生活最後の2020年はコロナが蔓延してコンサートもしばらく全面的に行われず。
特にオーケストラは、奏者間の密をいかに避けるか開催の方法に模索が続き、現在の状態に復帰するまでも時間を要しました。
思い返してみれば、私はそこから札響の音をまともに聴く機会を逃したまま、東京へ移り住んでしまったのです。
私のなかで札響の音は、冷凍保存されていたのでした。
東京で色んなオケを聴くようになり、かつて自分が生活の根を降ろしていた土地のオケを聴きに行くのは、やはりどこか特別な思いというか、不思議な感覚でした。

根強い札響ファン in Tokyo

お客さんの入りは、1,000人前後といったところでしょうか。
1階席でも少し空席が目立つような印象でした。
プログラムが東京でも少しマニアックなラインナップだったからかもしれません(メインがシューマン交響曲のときは往々にして集客が渋い。)

しかし、当日のお客さんの様子やTwitterでのレビューをざっと見ていると、「かつて札幌に住んでいた」とか、「札幌出身」とかで、個人的な思い入れを持ってこの東京公演に臨む方は少なからずいたようです。

東京の札響ファンも、着々とその数を増やしている印象です。
オケもプロ野球と似たようなもので、東京にいながらにして日ハムを応援するような感覚なのかもしれません。

「札幌」の「響き」と書いて「札響」

開演ベルが鳴り、懐かしい顔ぶれが舞台に姿を現す。
期待と緊張を胸に、最初の一音が出た途端、私が真っ先に思ったのは、

「え。札響てこんなに良かったっけ。」

というのが、正直でした(笑)。
「あの日聴いた音が鮮明に蘇る」とか、それこそ冷凍保存された音の記憶が溶けていくのを期待していたんですが。
早い話、そんな予想を上回ってくるほど、この日の演奏はめちゃくちゃよかったですね。
これは確実にアップデートされた札響、真っ新に向き合って聴かねばと、聴いているうちにだんだんと改心してきました。

オケ全体は、柔らかく、温かみのあるサウンド
個々の楽器を目立たせるよりは、楽器どうしが絶妙に溶け合って一体感を生み出していました。
特に、木管金管でこの特徴が本当によく出ていて、個々の奏者の力量を惜しみなく発揮する在京オケではなかなか聴くことのない響きに思いました。
結果として、輪郭がクッキリと出るスタイリッシュなサウンドというよりは、味わい深く、フォルティッシモでも耳触りの優しいサウンドを作り出していました。
クリアなピルスナーよりも、絶妙な濁りを残した無濾過系、キリッとした黒ラベルより柔らかいサッポロクラシックみたいな感じです。
(なぜビールなのかは、聞かないでください。)

名匠スダーンと新鋭・山根

さて、個々の曲ごとにもう少し深入りしてみましょう。
まずメインとなった、シューマン交響曲第2番。
シューマン管弦楽曲というと、響かせ方がなかなか難しい。
これはシューマン管弦楽書法によるところも大きいのですが、往々にして硬直しがちで、色合いや広がりに乏しくなりがち。
スダーンの指揮は、全体的にスピード感を持たせて、表層を駆け抜けるように滑らかな仕上がり。
2楽章のスケルツォなんかは、この特徴が顕著に現れていました。
難解なコントラバスのパッセージもこのテンポで弾くか、というほど。
スダーンの要求に的確に応えられる各奏者のレベルの高さも感じさせました。
欲を言えば和音の移り変わりなどにもう少し味わい深さをもって仕上げることもできるように思いましたが、全体としては推進力にあふれた良い音楽づくりでした。

この日のハイライトは、間違いなく伊福部のヴァイオリン協奏曲でしょう。
まずはヴァイオリン・山根一仁の熱演。
飾りっ気の無い音が真っ直ぐに響いてくるのは、ヴィブラートを最小限に抑えた奏法からでしょうか。
それでいて、息をたっぷりと保ったボウイングができるのは、古今東西あらゆる楽曲に対応できる持ち味でしょう。
若々しく、エネルギッシュに攻める山根に対して、スダーンは泰然自若とした指揮ぶりで、がっしりとソロを支えていました。
不思議と、伊福部独特の土臭さはそこまで感じられず、すっきりとした仕上がり。
新世代ヴァイオリニストとヨーロッパ風の指揮がなせる技でしょうか。

ベルリオーズの序曲は、掴みとしてはずいぶん地味な印象で、これは当初指揮予定だったバーメルト・チョイスだったのでしょうか。
ヴィオラの揺蕩うような響きが印象的で、このあたりの歌わせ方は札響の丸みを帯びた響きともマッチしていました。

まとめ

個人的な札幌への思い入れが多分に含まれた、主観的レビューであることは、書きながら自分でも大いに感じています。
ですが、環境が人をつくり、人が音をつくる。
そう考えるならば、地域の環境・特性と音は無関係ではないのかもしれません。

最近、音楽を聴いて情景を思い浮かべる、なんてことはとんとありませんでしたが、
雪の日の夜、札幌の街を歩いているなか街灯の光が雪に反射して、空がオレンジ色に包まれる温かい光景や空気感を奇しくも思い出してしまいました。

それはさておき、「これはキタラで聴きに行かねば」という感想を書いている人もいましたが、まさに、と頷いてしまいました。
あの音は間違いなくキタラの広々とした温かい響きを作り出すホール、札幌の乾いた空気のなかで育ってきた伝統とも呼べる音だと、改めて感じさせられました。

要となるのは、シェフ(指揮者)の存在。
常任指揮者のバーメルトには、このオケの持ち味を活かし、さらに磨き上げていってほしいですね。
ドイツ留学時代に、地域のさまざまなオケを聴く機会があり、地方色豊かな様子に面白さを見出していたものです(世界一流とされるゲヴァントハウス管なんかも、実は地元に根ざしたオケだと思っています)。
そして、さらに面白いのは、そうしたオケが指揮者によっていかようにも化ける瞬間。
生演奏ならではの、その場限りの唯一無二の音になる瞬間を幾度か体験しました。

この日の札響からはそれに似たようなものを感じました。
その意味では、バーメルト体制も好調なようです。
ぜひ北海道のクラシック音楽シーンを引っ張り続けてほしいですね。

おまけ

終演後はこんなお土産が配られていました。
美味しい唐揚げでも食べながら、かつての札幌時代に思いを馳せるのも悪くはなさそうです。