ひげんぬの書き捨て場

書きたいことを書きたいときに

【遠征記】トリオ・ソナタで彩る午後@札幌コンサートホールKitara(2021/11/13)

こんにちは。サボり癖が好調なひげんぬです。
前回の更新が8月末頃。ということは約3カ月が経とうとしている。
この間にいくつかの演奏会を鑑賞したけれど一向に筆が進まず。
演奏会レビューは記憶の鮮度が命。と勝手に思っているが、もはやここまで放っておくと、
記憶は腐るのか、むしろ寝かされて熟成されるのか、はたまた記憶の冷凍保存は有り得るのか。
これは壮大な思考実験である。

さて、今日はそのなかでも鮮度が高いものから捌いていこう。
なにしろ素材の活きがウリの大国、我が国食料自給率No.1。
そう、北は北海道。我が愛すべき札幌への遠征記である。

飛行機というけったいな鉄の塊で移動するせいだろうか。
東京と北海道は果たして同じ日本なのだろうか、といつも感じる。
気候、空気、土地、風情。
それらすべてを含めた「環境」が人の心に及ぼす影響は思っている以上に大きいようだ。
北海道の大らか雰囲気から比べると、人の歩くスピードからして東京の方が随分速く、幾分せわしなく感じてしまう。

さて、今回鑑賞したのはキタラ開催のこちら。

ピリオド楽器を使った古楽アンサンブルのコンサート。
虚飾のない、自然な音色と調律。
それらが乾いた空気に乗って、透き通るように響いてくる。
人口や情報に溢れかえった東京と違い、思考や感覚を遮るものがないせいだろうか。
弾く者も聴く者も、作品と心穏やかに向き合える。
古楽を聴くには贅沢な環境だ。

古楽器のアンサンブルは、「調和」に対する感覚がいっそう鋭く要求される。
ピッチやテンポ、寸分の差が如実にアンサンブル全体へ影響する。
早い話が、ごまかしが利かない。
同時に、楽器どうしの呼吸がピタッとあうとき、これほど心を震わせるものはない。
音楽が作られゆくダイナミズムを直に感じられる。これが古楽アンサンブルの醍醐味だと思う。
そしてそれは、生演奏でこそ生きてくる。

今回のアンサンブルでは、各々の安定したテクニックとそれに裏打ちされた心地よい響きを堪能できた。
個人的に注目してしまうのが、通奏低音チェンバロヴィオラ・ダ・ガンバ)。
アンサンブルが生きるも死ぬも、この通奏低音にかかっているといっても過言ではないだろう。
ガンバの櫻井氏は、マレの作品で安定したテクニックを披露するとともに、
アンサンブルでは土台をしっかりと築き上げて緩急の手綱を握っていた。
平野氏のチェンバロはこの土台に乗りながら、旋律楽器をしなやかにまとめあげる。
結果として、トラヴェルソとヴァイオリンは気持ちよく旋律を乗せて歌えたのではないだろうか。

トークは、トラヴェルソ北川とヴァイオリン長岡が軽快に繰り広げていく。
特に、バッハがいかに作品へのこだわりが強かったか(=ヘンタイだったか)というエピソードは、
演奏者ならではの視点が生々しく盛り込まれていて、会場の興味を引いた。

深まる芸術の秋に、ぴったりなコンサート遠征であった。