ひげんぬの書き捨て場

書きたいことを書きたいときに

【速報】酔っぱらいの戯言 (2021/8/31)

演奏会の体験を自分の言葉にまとめるのって、なかなか時間がかかりますねぇ。
それが振り返って、掘り起こしたくなるほど印象的な体験であれば尚のこと。
かといって、頭に残った記憶や情報、熱量の鮮度を落としたくはない。
う~ん、困った!

と、いうことで。演奏会のレビュー投稿まで少し時間がかかりそうなので、
最近の鑑賞録を雑談がてら振り返ろうと思います。

先日24日(火)は、予告通り「アンサンブル・アンテルコンタンポラン@サントリー」を鑑賞しました。
今年のテーマ作曲家マティアス・ピンチャーの作品を聴けたのが一番の収穫でした。
いや~良かった、生で聴いておいて、本当に。
現代音楽ほど生で聴いておくに越したことはない、とつくづく感じました。
特殊な奏法を目で見る楽しさとか、集中して聴けるというのももちろんありますが、
特に戦後の作曲家は音響や空間にもこだわった作品も多いので、
録音でそぎ落とされてしまうような残響、倍音の効果まで体験できるからです。
レビューは後日アップします!

そして本日(31日)は、「東京二期会新制作アルバン・ベルク《ルル》」を鑑賞。
ルル役森谷真理の完成度の高さ、マキシム・パスカル&東フィルの好調ぶり、
そしてグルーバー演出の秀逸さと大変に充実したオペラでした。
これは語りだしてしまうと長くなってしまうと思うので、
じっくりと時間をかけてレビューし、《ルル》の魅力に迫ってみたいと思います。

(以下、雑談)

良い演奏会や、芸術に触れるのってやっぱり楽しいですね。
鑑賞後にビールを飲みながら浸る余韻まで含めて良いものです。
本当は終演直後にちょっと良いお店で一杯、といきたいところですが、
それがなかなか難しいご時世となってからもう久しくなってきました。

所謂「コロナ禍」になってから、音楽はじめエンターテイメントの必要性やそれに関わる人たちの姿勢を問われることが多くなったと思います。
確かに音楽聴かなくたって人は死なないですし、音楽で生活に困窮した人を救ったり、貧困を解決することは根本的にはできません。
しかもクラシック音楽なんて、その良さや楽しみを知らないまま一生を終えて行く人だって少なくないでしょう。
知らないのはもったいないなんて言う気さらさらないですし、むしろそれで全く問題ないと考えています。
特にクラシックは資本主義社会においてさえお金を生み出すのも難しく、純粋な収益では成り立たない仕事です。
そういう意味ではあんまり誇れた商売ではないし、そもそも商売と言えるのかすら怪しいです。

では音楽は、クラシック音楽は要らないのか。と問われたら、それはマテと言いたい。
クラシック音楽もひとつの「エンターテイメント」とするならば、
クラシック音楽不要説は、他ジャンルの音楽や芸術、スポーツにまで及ぶはずです。
そもそも生きるのに本当に必要なものというと、かなり限られてくるような気がします。
例えば、「食」という一見必要性に満ちた行為一つとっても、それが「生きるための栄養摂取」か、
「美味しいものを食べる」かでは、かなり価値が違ってくるはずです。
必要性だけに迫るならば、前者のみで良いはずです(まあ、美味しさにこだわらない人も一定数いますが)。
エンターテイメントの価値とは、後者に近いものだと思います。
そして、コロナ禍において、私たちはどれだけエンターテイメントに飢えているか、
それがどれほど人間の本能的な欲求に基づいているかを思い知ったはずです。

クラシック音楽は数あるエンターテイメントの一つ。それで私は良いと思っています。
ただ、人々がエンターテイメントを求める限り、そのひとつとしてクラシック音楽があり続けてほしいと願っています。
レストランで美味しいものを食べたいときもあれば、居酒屋で安い酒を飲んで語り合いたいときもある。
スポーツを観戦したいときもあれば、美術館で絵を見たいときもある。
ライブで歓声をあげて音楽に浸りたいときもあれば、クラシック音楽でじっくりと音楽に耳を傾けたいときもある。
多様な人々の、多様な欲求に対応すべく、エンターテイメントの選択肢は多様であって良いはずです。
せめて私が出来ることと言えば、クラシック音楽の楽しさや奥深さを見つめ続け、
ひとりでも多く楽しんでもらえるよう、行動することかなと感じる今日この頃です。

今日は黒ビールの気分でした。