ひげんぬの書き捨て場

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【上野耕平トリオ】~才気あふれる俊英たちの協演(2021/3/28)

3月27日(土)@銀座ヤマハホールで開催された「上野耕平トリオ」に行ってきました。
Sax. 上野耕平はじめ、Pf. 山中惇史、Perc. 石若俊という藝大出身の同世代3名で結成されたメンバー。

配架された別日のコンサートチラシに、「若き巨匠たち」とあったが言い得て妙だ。
所謂 ”アラサー” を迎え、これからの歩みがますます期待される若手にして、すでに大御所クラスの実力と実績を兼ね備えたアーティストたちだ。
(実は管理人、彼らと同じ世代だが、恥ずかしながらとても同じ時間を生きてきたとは思えない。。)
まぶしく、それでいて親近感を覚える、存在感抜群のアーティストたちだ。
※なお、こちらの名古屋公演は5月開催予定とのこと。
 興味ある方はぜひチェックしてみてください。

さて、当の演奏会は、前半に出演者3名それぞれによる作曲あるいは即興の作品3つ、後半に藤倉大、旭井翔一、吉松隆という、すべて現存する作曲家の作品で構成されたプログラム。
いわゆる「現代音楽」と呼ぶのかもしれないが、ニッチでムズカシイ音楽を聴く一般的なイメージとは少しちがう。
アコースティックな音響と演奏に傾聴するクラシックのコンサートを基調としているが、ライブ感の強いコンサートであった。

前半では3名それぞれの酔(すい)寄せるような美技と創造性あふれる個性を魅せつけた。
特に、石若の演奏を私は初めて聴いたが、パーカッションの奥行きの深さを感じさせられた。
プリミティブな楽器だからこそというのか、ソロでもアンサンブルでも、鮮やかに音楽を息づかせる。
石若はアコースティックな演奏は久しぶりと語っていたが、彼が持っている音色や奏法の豊かさ、リズムの構成力からアイデアが無限にあふれてくるのを直に感じられた。

後半の藤倉の楽曲は、ドラム版初演とのこと。もともと和太鼓との共演のために上野が委嘱した楽曲のため、楽譜にはリズムと皮or縁打ちしか書かれておらず、それを今回石若がドラムでアレンジしたという。
こうしてある程度奏者にゆだねられる余地がある作曲は、J.S.バッハバロック時代と通底するものを感じる。
旭井の楽曲は、今回は第一楽章のみとのこと。本人も会場に立ち会っていた。
主題となるメロディーは、ガーシュウィンのようでもあり、メロディアスなポップスの要素を多分に感じさせる。
全体はジャズ風の奏法を基本としながら、構成はしっかりとした規模のロマン派的なソナタ形式を感じさせる。
あらゆるジャンルを自分のものにした旭井ならではの、非常に新鮮なソナタ
続きの楽章がどう続き、全体としてどのようなソナタが出来上がるのか楽しみだ。
吉松の「サイバーバード協奏曲」は今回のメインディッシュ。このトリオの個性が弾ける様を味わえる。
サイバーバードしかり、吉松はクラシックと他ジャンルを横断する音楽において、もはや古典的な存在といえるのかもしれない。
今回のトリオもたびたび再演しているし、5月の名古屋でも取り上げられる一曲なので、ぜひ一度聴いてほしい。

最近、平成初期生まれ「アラサー世代」(と、あえて呼ばせてもらう)の藝大出身の音楽家たちがめざましい活躍を見せている。
しかも、各々その網羅する範囲がとにかく横断的で、広い。
今回出演の3名の活動歴を見れば明らかなように、クラシックやジャズといった自分たちの軸を持ちながら、あらゆるジャンルを縦横無尽に駆け巡り、自分たちの音楽として吸収している。
連綿と続く西洋音楽の歴史を一身に背負いながら、飽くことなく新しい音楽を吸収し、今を生きる時代に沿った音楽を探求し続けている(だからこそ、「若き巨匠たち」という言葉がやけにしっくりくる)。
軽やかさと気概の大きさを感じさせる存在たちだ。
いつの時代も次世代を築く若い音楽家とはそういうものかもしれないが、これだけ情報が溢れかえった現代においてそれを成し遂げるのは、やはり特別な才能のように思う。

来場する客層も、コアなファンから、刺激をもとめるスーツ姿の男性や若者たち、土曜の午後の演奏会を楽しみに来場する夫婦など、老若男女幅広い層が参加しているようだった。
あるいは、東京・銀座という街に構えるホールのファンも手伝っているのかもしれない。
今後の彼らの活躍に、私も巻き込まれていきたい。

終わりに、老舗洋食屋・煉瓦亭で一杯。
ちょっとお値段は張るけれど、たまの贅沢で美味しい一皿が味わえた。