ひげんぬの書き捨て場

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文化の日に上野まで行ってきた(2022/11/3)

今日は文化の日
何てことはない、タイトルの通りなのですが、上野まで行ってきました。
美術展をひとつと、研究発表を兼ねた公演をひとつ見てきました。
我ながら文化の日らしい過ごし方をしたなあと思います。

昨日、今日と気持ちの良い天気が続きましたね。
こういう日はなぜか朝から気分が良いです。
快晴ながら暑すぎず、過ごしやすい気温で、空気も澄み渡っている。
東京では一年通してもなかなかないですよ、こんな日は。

東京も秋めいてきて、上野の公園の葉っぱたちもだいぶ色付いてきました。

長坂真護展 – still a black star

さて、行ってきた美術展はこちら。上野の森美術館「長坂真護展 – still a black star」。
友人から紹介された展覧会で、ギリギリ会期中だったので行ってみました。

長坂真護氏は、廃棄物を使ってアートを作る作家。
1984年生まれで、意外にも私とも世代が近くて驚きました。
歌舞伎町でNo.1ホストとなり、アパレル店の経営を始めるも立ち行かなくなり廃業。
最初はストリートアーティストとして絵を描き始めたという、ユニークな経歴です。

創作のメインともいえる廃棄物アートは、彼が訪れたガーナでの体験が原になっています。
日本をはじめとする先進国が廃棄した大量の電子機器を燃やし、有毒ガスを吸いながら生活する人々がいたこと。
以降、同地の廃棄物を使ったアート制作を始めます。

ゲーム機、パソコン、キーボード、ビデオテープ、、、(館内は一部作品を除き、ほとんどが写真撮影OK。)
少し懐かしさも思わせてしまう遺物が材料となっているのが分かります。
こうした遺物が、生々しく画面から浮き出てくる様子が見られます。

タイトルの「still a black star」は、ガーナの国旗をモチーフにしたものでしょう。
国旗は長坂作品のひとつにもなっていましたが、中央の黒い星は、その星が輝く日はまだ訪れていないという意味も込めているのだとか。
それはガーナはじめ発展途上国に限らず、日本や先進国含む世界全体を指しているのだと思われます。

今回、長坂氏は初となる美術館での個展だったそうです。
話題の展覧会なのか、若い人たちや親子連れなども多く見られましたね。
社会とアート、資源とアート、そしてアートのあり方を考えさせられる展覧会でした。

藤川大晃 博士リサイタル

続いて訪れたのはこちらの公演。
作曲家・藤川大晃氏のリサイタル。

コロナ対策もあって予約制のため、私はとある伝手で今回訪れることができました。
藤川氏は現在藝大博士課程に所属する作曲家。
奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門で優勝するほか、大学院アカンサス賞も受賞するなど、在学中からめざましい活躍を見せています。
大学院では能楽の研究を行い、作曲家としての自身の問題意識を深めながら、創作にもつなげています。

公演では、前半に研究のプレゼンテーション、後半に新作の発表が行われました。
プレゼンテーションでは、自身の研究や創作の現況について紹介しました。
音楽の伝達・伝承のあり方、楽譜というメディアなど、アーカイヴ論にもつながる問題意識から端を発し、能とDAW(コンピューターでの音楽制作ソフト)の共通性までを非常に明快に解き明かしていました。
テクノロジーやメディアの出現は、ときに作曲家/演奏家など、その立場さえも根本的に揺るがすようなことがあります。
このあたりは、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」をきちんと読んでみたくなるようなお話でした。
西洋音楽を当たり前のように享受している人間にとっては、刺激的なプレゼンテーションになったのではないでしょうか。

後半の新作「三角の彼方へ」は、能の「道成寺」をモチーフにとった作品。
奏者は打楽器ひとりのみ。
サンプラーと太鼓、トライアングルを用いて、スピーカーの電子音響と合わせて演奏されます。
この電子音響がかなり作り込まれているような気がしました(と言いながら、電子音響にあまり明るくはないのですが、、)
音のグラデーションや遠近感なども聴き取れるもので、非常に空間的なものに聴こえました。
いわゆる普通の音楽ではリズムが刻まれ、時間が一方向に進んでゆくイメージですが、藤川氏の今回の作品では時間がぐるぐると円環的になったり、保留されたり、立ち上がるようなイメージです。
このあたり、非常に能とも通じる(といって、能を単に真似たのではない)時間感覚を思わせる作品でした。

いやはや、今の作家の個展を見たり、新作を聴く体験はやはり面白いものだなと思います。
日々様々なことを問題意識として捉え、社会と独自の立場と距離感で接し、作品をもって投げかけていく。
そんな作家たちのリアルを体験できる機会となりました。

以上、本当にただの日記のような記事でした。