乃木坂46「ネーブルオレンジ」を分析&考察してみた
乃木坂46が38枚目となる新たなシングル「ネーブルオレンジ」をリリースしました。いやちょっと、前回のアルバン・ベルク《7つの初期の歌》から、あまりにも方向性が違いすぎないかい!?と思われるかもしれません。
はい、その通り、自覚しています。でも、ちょっと寄り道というか浮気したくなったのです。言い訳させていただくと、ベルク作品の分析篇は絶賛執筆中ですが、楽譜の解読に時間がかかっています!その間に乃木坂から新しいシングルが、それもとっても心を惹きつけるような良いシングルが、出てしまったのですもの。
この「旬」を逃しては罪というものです。
実はここ1~2年、坂道グループ、特に乃木坂46を「にわか」に追っています。と言っても、ライブにもミーグリにも未だ参加したことがないので、やはり「にわか」になるのでしょう。
もともとその畑にいなかった私からすると、そこまで踏み出すのが少しハードル高くて、、、行ってみたい気持ちはあるのですけどね。
しかし、このグループの作り出す「乃木坂らしい」雰囲気とクラシック音楽とのあいだに親和性を感じるときがたびたびあります。音大に進むほどのピアノの腕前をもった生田絵梨花さん(既卒)の存在や、ドビュッシー「月の光」が挿入される18枚目シングルの「逃げ水」は最たる例ですが、ピアノやストリングスが前面に出てくるサウンドと言い、気づけばその楽曲を私も聴くようになっていました。
そんな乃木坂が新たなシングルとして出したのが、5期生の単独センター経験者である井上和さんと中西アルノさんがWセンターを務める「ネーブルオレンジ」です。これが、めちゃくちゃ良い。巷では少し地味だけど噛めば噛むほど良さがでてくる「スルメ曲」なんて言われていますが、私的には噛んだ瞬間からドストライクでした。それも、個人的にはクラシック好きな人には、特に刺さる曲なんじゃないかと思っています。それでいて、どこか何回も味わって、読ませようとする奥行きの深さを感じさせます。
というわけで、今回はこの「ネーブルオレンジ」を超個人的な視点から分析&考察してみようと思います。
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乃木坂46《ネーブルオレンジ》
作詞:秋元康、作曲:中村泰輔、編曲:樫原伸彦
0. 分析の前に
これからお話する内容は、楽譜が出てきたり、音楽の専門用語も多少出てくることになると思います。なるべく分かりやすく説明できるように心がけますが、「難しい!」「楽譜が出てくるだけで拒否反応が!」という方は読み飛ばしていただいて、全く構いません。
また、クラシック音楽をかじり乃木坂楽曲も好きな一視聴者が好きなように語っているだけの文章です。多少、こじつけがましい解釈や偏った見方もするかもしれませんが、「こうやって聴く人もいるんだなあ」くらいに思っていただければ幸いです(「この曲はこうやって聴くべし!」と論じるものではありません)。音楽の聴き方や感じ方は、人それぞれあってしかるべきです。私のような捉え方もできる、この楽曲の懐の深さというか奥深さが、少しでも伝われば良いなと思っています。
分析にあたって参考にさせていただいたのは、以下2つのYouTubeの動画です。
①Crahs
全体の分析はCrahsさんのこちらの動画を参考にさせていただきました。すでに多くの視聴者の方が見ている動画かと思います。Crahsさんの動画では、乃木坂をはじめとする坂道グループやJ-POPの楽曲について、分かりやすくポイントを押さえながら解説しています。分析ではコード進行などの専門的なところまで突っ込みながら、何より楽曲やグループへの“愛”をもって分析しているので、見ている方も楽しく、深く楽曲について知ることができる動画になっています。
②Aile Short Piano
私は耳コピに自信がないので、音取りはこちらの動画を参考にさせていただきました。また、ピアノの鍵盤の画像は下記のリンクから使わせていただきました。
1. 全体の構成(分析表)
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構成 |
イントロ① |
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メロディ |
花びらモチーフ+a’ |
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小節数 |
4+8 |
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調(キー) |
C |
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1番 |
構成 |
Aメロ |
Bメロ |
サビ |
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歌詞 |
⑤窓の外に 雲ひとつない空 |
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メロディ |
A(a+a’) |
B(b+c) |
A(a+a’) |
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小節数 |
8+8 |
8+8 |
8+8 |
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調 |
C |
Fm / C Am / Em |
C |
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構成 |
間奏①(イントロ②) |
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メロディ |
a’ |
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小節数 |
8 |
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調 |
C |
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2番 |
構成 |
Aメロ |
Bメロ |
サビ |
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歌詞 |
⑮ボールみたいに上へと投げながら |
|||
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メロディ |
A’(a) |
B(b+c) |
A(a+a’) |
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小節数 |
8 |
8+8 |
8+8 |
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調 |
C |
Fm / C Am / Em |
C |
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間奏②~ラスサビ① |
構成 |
間奏② |
Bメロ |
ラスサビ① |
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歌詞 |
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㉓少し厚めのその皮の中に |
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メロディ |
A(a+a’) |
B(b+c) |
A(a+a’) |
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小節数 |
8+8 |
8+8 |
8+8 |
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調 |
C |
Fm / C Am / Em |
D♭ |
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ラスサビ②~アウトロ |
構成 |
ラスサビ② |
アウトロ |
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歌詞 |
㉙なんてセンチメンタルな記憶 |
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メロディ |
C/A(a+a’) |
花びらモチーフ |
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小節数 |
8+8 |
8+8 |
|
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キー |
D♭ |
||
※「歌詞」に記した数字は詩の行数を表わしています。
①メロディの反復性
まず、「お?」と思ったのが、Aメロとサビが全く同じメロディで歌われることです。よくあるJ-POPの形は、「Aメロ(A) → Bメロ(B) → サビ(C)」と、サビのメロディを聴かせるために、Aメロ、Bメロ、サビで異なるメロディを使う形だと思います。この場合、サビに向かって「展開」あるいは進行してゆくイメージです(例えば、槇原敬之さんの「どんなときも」なんかはこの形と言えるでしょう)。それに対して、この楽曲では「Aメロ(A)→ Bメロ(B) → サビ(A)」と、サビでAメロを「反復」します。もちろん、聴けば分かるとおり、サビはきちんとサビらしい盛り上がりを見せます。しかし、歌のメロディは明らかにAメロを繰り返し、サビで展開するというよりは「回想する」ような作りになっています。この「反復」による「回想」が、この曲のポイントのひとつになる気がしています。
②静的で古風な構成
2番以降のメロディも見て行くと、やはり「A → B → A(サビ)」と、同じ節回しで反復されています。こういう歌のことを特にクラシック音楽の歌曲だと「有節歌曲形式」と言ったりしますが、J-POPは実はこの形式によるものがほとんどと言っても良いです。特に、この曲に関してはAメロもサビも同じメロディなので、非常に限られたメロディの素材で作られていると言えます。
そのため、構成全体は動的というよりは「静的」、「古めかしさ」や「古風な」イメージを私は持ちました。絵に例えるならば、綺麗に装飾された額縁(フレーム)が施されているような絵画を連想させます。その意味では、このシングルのジャケ写が、ロココ風の絵画を思わせるようなエレガントな衣装と構図をしているのは、楽曲のイメージともぴったりきました。
③シンプルな調(キー)
調(キー)のなかで注目するべきは、まずCメジャー(ハ長調)がメインになっていること。Cメジャーは、♯も♭もつかない調です。ピアノでいう「ドレミファソラシド」の白鍵の音だけで構成される、親しみやすくシンプルな調と言えます。特に歌のメロディは、ラスサビ①以降を除いて、この白鍵だけしか使っていません。
④Aメロと「ネーブルオレンジ」の歌詞が響き合う
歌詞を見て気が付くことは、タイトルの「ネーブルオレンジ」が歌詞のなかで繰り返し表れることです。数えてみると、計6回。これだけ同じ言葉、しかもタイトルと同じ言葉を繰り返す楽曲も最近ではあまり例を見ません。
注目すべき点は、この「ネーブルオレンジ」が表れる場所です。まず、歌の初めと終わり、つまりこの楽曲の歌詞は「ネーブルオレンジ」で始まり、「ネーブルオレンジ」で終わります。この言葉そのものが、歌詞に枠を作っているのです。
さらに、Aメロとサビ(ラスサビ含む)が同じメロディで作られていることは、すでに①で見た通りですが、このAメロのメロディは、必ず「ネーブルオレンジ」という歌い出しで表れています。どうやらこの楽曲のメイン・メロディとも言えるAメロは「ネーブルオレンジ」を表わすメロディとして、この言葉と密接に関わっているとみて良いでしょう。
歌詞と音楽、どちらを先に作りどのように制作を進めていったのかは分かりませんが、結果としてお互いに響き合うように作られていることが分かります。
メロディの反復によって静的で古風な構成を作り、シンプルな調を使っていること、そして同じ言葉を繰り返し使っている点は、昨今のJ-POPにおいてはとても大胆な選択だと個人的には思いました。ともすると、「つまらない」「地味」あるいは「ダサい」なんて印象を与えかねません。でもこの楽曲、全くそんな風には感じません。
2.メロディの分析
ここでは、この楽曲の主な構成要素である「イントロ」「Aメロ」「Bメロ」の3つを取り上げて、フレーズごとに分解しながら見ていきます。多少、細かい話になるので、読みにくい方はすっ飛ばしてもらって構いません。
①イントロ~「花びらモチーフ」の登場

冒頭からピアノで入ってくるこの「ラソド」という3つの音の形(音形)の連続、印象的ですよね。先に言ってしまうと、実は3つの音から成るこの音形が、曲全体を貫く「モチーフ」となります。Aメロ以降を見ていくと、この音形がメロディのなかでたびたび登場します。このように曲全体で繰り返される音形をモチーフと呼び、メロディどうしを繋いで曲全体にひとつの物語のような連関を作り出します。
イントロでは、この「モチーフ」が繰り返されることで、リズムにも面白いことが起こっています。4分の4拍子ですから、均等に四分音符で拍を刻むと「1・2・3・4・/1・2・3・4・」となります。ところが、ここでは「ラソド」が八分音符で「3・3・2」と繰り返されることで、「1・・2・・3・/1・・2・・3・」と、3拍目が短い3拍子のようになります。つまり、不均等に拍を刻むことで絶妙にリズムのズレが起こり、ゆらゆらと揺れ動くようなリズム感や、「次に何が始まるのか?」という高揚感を生み出す効果につながります。ここにストリングスも合わさって、いかにも「乃木坂らしい」サウンドが前面にでてきます。
このイントロの部分、いろんなイメージが喚起できそうです。例えば、ネーブルオレンジの香りが漂ってくる感じとか、私は特に「ラソ」のところが花びらが舞い散るように感じます。「ラソド/ラソド/ラソ ラソド/ラソド/ラソ ラソド・・・ひらっ ひらっ ひらひらっ ひらっ ひらひらっ・・・」
・・・そう聞こえるかはさておき、勝手にこの「ラソド」の音形に分かりやすく名前をつけて、「花びらモチーフ」とでもしておきましょう。
②Aメロ~「ネーブルオレンジ」のメロディ
Aメロは、前半(a)と後半(a')のフレーズ各8小節で構成されています。フレーズaは井上和パート、フレーズa’ は中西アルノパートですね。
1)「花びらモチーフ」からの歌い出し
フレーズaの頭、歌詞“ネーブル(オレンジ)” は、花びらモチーフ「ラ・ソ・ド」で始まるんですね。イントロで欠片のようだった3音は、「ネーブルオレンジ」へとつなぐモチーフだったことが明かされます。音楽的には、 イントロからAメロへの繋がりがスムーズになり、物語の「序」から「第1章」へとページをめくるような感覚になります。
先のイントロのイメージで捉えるならば、ネーブルオレンジの香りに誘われて、あるいは、花びらが1枚「僕」のところに落ちてくる。そこから「君」との記憶(=歌)が呼び起こされる。このイントロからAメロの歌い出しへの流れは、そんな情景思い浮かばせるような非常に映像的な演出に感じました。
2)「ヨナ抜き音階」

このフレーズaは、「ヨナ抜き音階」でできています。「ヨナ抜き音階」とは、「ドレミ(ファ)ソラ(シ)ド」のうち、四と七(ヨナ)番目にあたる「ファ」と「シ」の音が抜けた音階のこと。通常の音階が7音から成るのに対して、5音のみから成ることから五音音階とも呼ばれます。この音階は童謡や民謡によく使われているので、親しみやすく懐かしい印象を与えます。J-POPでも比較的よく使われる音階で、米津玄師さんの「パプリカ」なんかもこの音階を全面的に使っています。
ヨナ抜き音階は「懐かしさ」と同時に、少し専門的な見方をすると、調(キー)の中心性をあいまいにさせる音階でもあります。調がハッキリするためには、実は「シ」の音の存在が音階にとって非常に重要な役割を持つのですが(音楽用語では「導音」と言います)、逆にこれが不在になると、少し調がぼかされた(和らいだ)印象になります。
3)フレーズa' 「春は何かを思い出させる」
これに応答するフレーズa’(中西パート)に注目してみましょう。やはりここの歌い出しも「ラ・ソ・ド」(花びらモチーフ)。でも、その後ろがちょっと違いますね。「思い(出させる)」の「ミ・シ・ド」、中西さんの綺麗な高音がとても効くところですよね。フレーズa(井上パート)では「ドからラ」まで(6度の音域)に限られていたのが、ここでは「シ→ド」と1オクターブ上まで突き抜けてきます。そして、ようやくここで「シ」の音が出てきて、Cメジャーであることをハッキリとさせます(コードもドミナントコードが出てくる)。
そして、この「ミ・シ・ド」の音形。実は、頭の「ネーブルオレンジ」に出てきた「ラ・ソ・ド」(花びらモチーフ)の音程関係を逆から辿ると、この形になるのです(クラシック音楽だと、これを「逆行形」と言います)。「ラ・ソ・ド」の横に鏡を置いたように、「ミ・シ・ド」上がっていく形になりますね。
「花びらモチーフ」をネーブルオレンジの香りや花びら、すなわち「春」の象徴として捉えるならば、その逆行形「ミ・シ・ド」がぼやけていた調(=Cメジャー)をハッキリとさせるこの場面は、まさに”春は何かを思い出させる”という歌詞の心象風景を描いたようなとても詩的な音の使い方だと思います。
4)「拍」/フレーズの区切り方
フレーズの区切り方にも注目してみましょう。Aメロを構成するフレーズは、全て小節の頭(拍の強いところ)ではなく、弱拍(アウフタクト)から始まっています(これが実は曲の最後の最後で効いてきます!)。また、フレーズaは、タイで結ばれていることからも分かるように、拍の裏で終わっています(楽譜中の赤矢印)。
一方、フレーズa'は、4小節ごとに拍の表で終わっています(楽譜中の青矢印)。拍の強いところで終わる(青矢印)と、フレーズの終わりがはっきりするといいますか、区切られる感じが出ます。一方で、拍の弱いところで終わる(赤矢印)とフレーズの終わりがぼやかされる、あるいは余韻を残すような区切り方になります。文章で例えるならば、「。」で区切るか、「、」や「~て」のように、次の言葉へと続いていくようなイメージでしょうか。
すこし拍を「1, 2, 3, 4...」と数えながら聴いてみると分かりますが、特にフレーズaは区切り目がぼかされる分、拍が数えづらく感じると思います。何か強い意志をもって刻みながら歌うよりは、ぼんやりと何かを思い浮かべながら歌っているイメージです。これに対して、フレーズa'は「思い出させる」「誘うんだ」のフレーズ終わりで拍がハッキリと示されます。Aメロをきちんと区切る役割を果たしつつ、「思い出させる」のCメジャーの存在がよりハッキリ浮かび上がってきます。
③Bメロ~”マイナー”チェンジ

Bメロではマイナーコード(Fm)が出てくることで長から短へ、明から暗へ移り変わり、場面が変わったことを印象付けます。ところが、ここではドミナント・コードが出てこないので、フレーズbの調はFmとCのあいだを、フレーズcの調はAmとEmのあいだを揺れ動いているような感覚になります。しかも、歌のメロディは相変らず♯も♭もなく白鍵しか使っていません。この変化させるもの(コード)とさせないもの(メロディ)のバランスが、秀逸に感じさせるところです。
フレーズb頭は「ソ・ファ・ド」の音形になっています。これ、実は音の形は少し変わっていますが(跳躍が5度→4度)、やはりここにも「花びらモチーフ」が派生したものが使われていると考えられます。やはり、物語のページをめくるような作用がここにも働いているわけですね。
フレーズcですが、ちょっと難しい(というか細かい)話をします。ここのフレーズは、「ド」と「ファ」の音が抜けた五音音階が再びでてきます。「ソラシ(ド)レミ(ファ♯)ソ」のヨナ抜き音階、あるいは「ミ(ファ♯)ソラシ(ド)レミ」の二六(ニロ)抜き音階とも捉えられます。抜けている音自体は同じなのですが、メジャースケール(長音階)かマイナースケール(短音階)かに拠ります。私としては、マイナーコードの響きとの親和性を考えるならば、ここは後者のニロ抜き音階と捉えた方がすんなりきます。そして、このニロ抜き音階は、「和」なイメージを与える音階としてよく使われます。「そして初めて~」の部分がなんとなく和の感じの響きがするのは、実はこのニロ抜き音階の使用によるところが大きいと思います。
そして、このフレーズcの頭の三音「ミソラ」。う~ん、さすがにこじつけかもしれませんが、やっぱりここにもフレーズa’の後半で出てきた、「鏡・花びらモチーフ」(ミ・シ・ド)との関連性を見出したくなってしまいます。
3.「2番」以降の音楽の展開
①実はただの反復ではない
全体の構成で触れたとおり、この楽曲は「A・B・A(サビ)」というメロディのセットが、「2番」と「間奏②~ラスサビ①」でも反復される形をとっています。
ところが、よく見ると、ただ同じ繰り返しをしているのではないことに気づきます。「2番」では、Aメロが半分のフレーズ(a)に省略され、「間奏②~ラスサビ」ではAメロが楽器だけの間奏に、Bメロが半分のフレーズ(c)に省略されています。繰り返しながら省略したりすることで変化をつける方法は、音楽的には単純な繰り返しを避けるテクニックとしてこの楽曲に限らずよく使われます。
しかし、この「ネーブルオレンジ」の場合、この点が歌詞や楽曲の雰囲気と響きあうような気がしてなりません。つまり、繰り返しながらも二度と同じものはやってこない。一方向に進むのではなく、螺旋状に繰り返しながらも変化してゆく。それは、私たちの時間の感覚や「季節」の捉え方のようで、こういって良ければ、とても日本的な「時」の感じ方な気がします。「もののあはれ」とでも言いたくなるような切なさを感じます。
②「間奏②」~言葉のない歌
面白いことに、2番では省略されたAメロが、「間奏②」ではピアノのみで完全に再現(反復)されます。間奏①が2番へのイントロの役割になっているのに比べると、この間奏②はただ間奏というよりも、Aメロの歌が楽器(ピアノ)に預けられた「言葉のない歌」としても捉えられます。 歌詞付きのAメロが「僕」の心情を歌っているとすると、ここではネーブルオレンジから呼び起こされる記憶にただ身を任せているような、「僕」の心象風景を描いているように捉えられます。(この間奏②、MVではメンバーが眠っている演出になっています)。
③「ラスサビ①・②」の転調
ラスサビでは、Cメジャーの半音上のD♭メジャーに転調します。この曲のなかで唯一ハッキリと転調するところと言っても良いでしょう。ピアノの鍵盤で見ると一目瞭然ですが、D♭メジャーは「ファ」と「ド」以外がすべて黒鍵となります。それまでの非常にシンプルなCメジャーからガラッと雰囲気が変わります。一気に色が広がるような、満開の花の景色が開けるようなイメージです。
④ラスサビ②「なんてセンチメンタルな記憶」
この”なんてセンチメンタルな記憶”以降の部分をどう捉えるかは、考察の余地が残されていて意見も分かれるところだと思います。私は、ここがこの楽曲の一番の見せどころと言っても良いと思っています。
まず、歌のメロディを見ると、これまで出てきたことのないフレーズが使われています。同じ「ファ」の音を刻んでいますね。この同音の連続は、「歌」というよりも「語り」に近いような印象を与えます。乃木坂楽曲だと、「ここにはないもの」のAメロがこれと同じ作りをしていると思います。
つまり、ここは「僕」のモノローグと捉えることができます。そう考えると、構成上は「Cメロ」として、これまでと全く異なる部分として置きたくなります。実際、そのように捉えても差し支えないと思うのですが、私はあえて「ラスサビ②」としました。
その理由は、この部分のバックミュージックにあります。特に、ピアノの音をよーーーーーく聴いてみてください。
...ピアノがサビのフレーズ(Aメロ)をもう一度、丸ごと繰り返しているのが聴こえるでしょうか?特にカラオケ版で聴くと一目瞭然かもしれません。ここでもう一度、これでもか!というほど「ネーブルオレンジ」のメロディを背景に使っているんですね。
つまり、前景(歌)には「僕」のモノローグが、背景には「ネーブルオレンジ」のメロディという立体感のある音楽になっています。しかも、「僕」のモノローグが八分音符で拍どおり刻むのに対して、Aメロはその分析で見たとおり弱拍で入るため、2つのメロディが絶妙に対比を成して、交差して聴こえてくる作りになっています。
そして、間奏②で見たとおり、歌(Aメロ)のメロディが楽器に預けられているということは、「僕」とは違うところに歌があると解釈できます。ここでの「僕」は「ネーブルオレンジ」から喚起された、ありし日々の記憶から遠ざかったところにいる、ぼんやりとその光景を眺めながら語りに入っているイメージが沸いてきます。まるで、夢から醒めた瞬間の、夢の記憶がかすかに残っているような感覚。何とか繋ぎとめようとするけれども、気づけば記憶の彼方に消え去ってしまう。そして、最後に残されたのは、ひとつの「ネーブルオレンジ」のみ。淡い夢だったと悟る...そんな読後感を残してくれるような、終わり方に感じます。
この部分の歌詞を見ると、ここだけ「3行+3行」になっています(他は4行、若しくはその半分の2行)。どうしても、ソネット(十四行詩)を連想してしまいます。ソネットとは、ヨーロッパの叙情詩の形のひとつで、十四行から成る短い詩のこと。詩の行を「4+4+3+3(=12)」で構成して、短い歌を作ります。これを特に得意としたのが、かのシェイクスピアです。シェイクスピアのソネットは、まさに季節と恋を歌ったものが多く、この楽曲とも近い雰囲気を持っています。乃木坂では、確か6期生の春組・夏組の紹介でシェイクスピアのソネットからの一節が引用されていたことで、考察が深められていましたね。
ただし、シェイクスピアのソネットの場合、詩行構成は「4+4+4+2」という「3つの4行+2行」のパターンが代表的です(詳しい説明は省きます)。ちょうど「起承転結」のような構成になっており、3番目の4行で展開があり、最後の2行が結びとなることが多いです(シェイクスピア詳しい方すみません、超ざっくりで)。この楽曲の歌詞を見ると、最後は「3+3行」となっているので詩行構成は異なります。ただ、面白いのが音楽の構成を見ると、「3つの「A・B・A」セット+ラスサビ②」という構成で、ちょうど3番目の「A・B・A」でラスサビへの転調が起こり、ラスサビ②が楽曲を締めくくる「結び」の役目を果たしています。この構成が、非常にシェイクスピア的なソネットと似ているなあ、、、と、個人的には感じます。このあたりは、詩に詳しい方の見解も待つことにします。
4.MVの構成と演出
せっかくなので、MVについても少し書かせてください。すでに公式に発表されているとおり、MVは「バラバラの生活を送る少女たちが、偶然同じ電車・行き先に向かう」というストーリーで構成されています。この点も少しヒントにしながら、MVの構成を整理してみました。
●MVの構成
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音楽 |
イントロ~1番サビ |
2番Aメロ~ラスサビ①前 |
ラスサビ①以降 |
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明度 |
明 |
→ |
暗 |
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服装 |
私服 |
制服(白) |
ドレス |
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時間 |
朝 |
夕 |
夜 |
|
現実 |
→ |
夢 |
|
|
視線 |
交わらない |
同じ方向 |
お互いに交わる |
1)「イントロ~1番」、2)「間奏①~2番~ラスサビ①前」、3)「ラスサビ①以降」の3段階で、あらゆる点がグラデーションのように変化していくのが分かります。
まず分かり易いのは、映像の明度が1)では鮮明ですが、2)→3)と進むにつれて、オレンジ風の柔らかいタッチになっていきます。時間も、1)朝→2)夕→3)夜と移り変わっていることが分かります。それから、メンバーの衣装も1)私服→2)白い制服→3)ドレスになっていきます(列車のなかもレトロになっていきますね)。つまり、現代から過去へと遡っているものと解釈できます。さらに、メンバーどうしの「視線」も、1)では交錯しているところから、2)では同じ方向を見つめ、3)でお互いの視線が交わるようになっていきます。
2)→3)の間奏②では、メンバーが眠りに入っているのは、先に見たとおりですが、おそらくこれは現実から夢へと入っていく演出だと思われます。すなわち、夢の世界でようやくお互いの「視線」が交わり、別々だったものがひとつになっていくストーリーなのだと思いました。面白いのが、ただ1)→2)→3)と一方向へ進むのではなく、ところどころで1)=現実をフラッシュバックする瞬間があります。つまり、現代(現実)を回想しながら過去(夢)へと進んで行く、時間の逆行が起きています。これはなんとも幻想的な時間感覚の演出だなあと思いました。
こうした演出ができるのは、「ネーブルオレンジ」という楽曲の雰囲気のみならず音楽や詩を読み込んでいること、そしてそれを演じるメンバーたちへのリスペクトや愛をもって作られた演出だと思いました。
5.まとめ&考察~結局「ネーブルオレンジ」とは何なのか
タイトルでもある「ネーブルオレンジ」。結局、この「ネーブルオレンジ」とは何なのだろう?というのが、最大のポイントになります。
曲の歌詞は、「僕」がネーブルオレンジを手にしながら、「君」との恋に思いを馳せる物語。オレンジの甘酸っぱさと恋の記憶が混ざりあう「青春の恋」の記憶となっています。もちろんそう捉えて、何ら差支えないと思います。一方で、「ネーブルオレンジ」という存在はもう少し抽象化されていて、読む人・聴く人によってさまざまな連想を抱かせてくれる可能性が秘められている気がします。
①「時間」から捉えた「ネーブルオレンジ」
この「ネーブルオレンジ」を時間から捉えてみるとどうなるでしょうか。曲の歌詞は、明らかにその視線が「過去」へと向いています。「未来」に向かったものではないことは感じ取っていただけると思います。そして、何度も何度も繰り返し表れる「ネーブルオレンジ」は、ありし日々の記憶を呼び起こすものでした。音楽もこれと呼応するように、Aメロをサビでも回想しさらに構成そのものが反復しながらも少しずつ変化する螺旋状の時間感覚を描くがごとく構成されていました。
話は少し変わりますが、私は実家に帰ると、いつも妹が小さいころ紙に書いた絵を目にします。なんてことのない、どこの家庭の子どもでも書くような絵です。おそらく30年近く前のものです。そのころの記憶は、私も当然あるわけですが、30年も経つとそんな日々が遠くに感じることがあります。むしろそれが日常です。けれど、その絵を前にすると、30年前の妹が鉛筆をにぎり、紙に触って、描いた。その確固たる事実を何よりもの説得力をもって眼の前に叩きつけられる感覚になります。あの30年前の日々はいまは去ってしまったけれど、確かにここにあった、そんな不思議な気持ちをたびたび呼び起こしてくれます。
「ネーブルオレンジ」はこの絵と少し似た存在に感じます。いまはもうここにはない、けれどあの日々は確かにそこにあったことを示してくれるもの。ビデオテープのように、過去をありのままに再現するものではないけれど、生々しい感触とともにたびたび立ち返っては自分に呼びかける記憶の痕跡やかけら。つまり、「過去」と「いま」を心のなかでつなぐもの、あるいはその心そのものと言えるかもしれません。
そう考えると、この歌詞の「君」とは、片想いを恋の相手と見ることもできれば、かつての自分自身、さらにはありし日々そのものと見ることもできるかもしれません。あのときには分からなかったけれど、いま思えばかけがえのない瞬間・日々だったのあのとき。そのようにたびたび振り返っては回想する独特の香りを備えた記憶。この楽曲はそうした人間らしい感覚を青春の甘酸っぱさへと集約した作品だと思いました。
②「空間」から捉えた「ネーブルオレンジ」
もうひとつ注目したいのは、この「ネーブルオレンジ」という言葉がもつ空間、特にその「中間性」です。「中間性」とは、両極にあるものではなく、そのあいだにあるものを指します。つまり、他と明らかな区別をつけていたものの境界があいまいになり、すべてを包み込むような空間とも言えます。この空間こそ、この楽曲の持つ雰囲気とぴったりくるのです。まさに、音楽もこれと呼応するかのように、「ヨナ抜き音階」が調の中心性をぼかした柔らかいメロディを作っていました。
考えてみると、このネーブルオレンジの歌詞に出てくる言葉の数々は「中間性」に満ちています。まず、「オレンジ」は中間色ですし、「春」は中間季節そして出会いと別れの季節です。さらに、列車(駅と駅のあいだ)、「駅」(往来の場所)...
そういえば、今回のWセンターというポジションも、中心がひとつに定まらないという意味ではこの「中間性」がよく表されているように思います。Wセンターの二人を「月」と「太陽」に例えているのが私にはとてもしっくりきます。Crahsさんの分析にあった、どっちも月だしどっちも太陽、でも月と月、太陽と太陽ではなくて、どっちかが月ならどっちかが太陽という言葉が、私には「中間性」を的確に言い表わした言葉だと思いました。考えてみれば、オレンジ=夕焼けを連想させ、夕焼けは太陽と月が出会う唯一の瞬間であり、儚くも無類の美しさと温かい空間を作り出します。
この楽曲がもつ雰囲気は、その一瞬の奇跡とも呼べる空間を作り出しているように思えてなりません。
③乃木坂46そのものとしての「ネーブルオレンジ」
さらにこの「ネーブルオレンジ」を踏み込んで解釈するならば、乃木坂46そのものではないかという気さえしてきます。乃木坂に所属する彼女たちを個人単位で見れば、アイドルとして人生は、決して長いものではなく、10年も在籍していれば長いほうになります。それは永遠のものでもありませんが、彼女達にとっては人生のかけがえのない瞬間であり、かけがえのない日々であったことを呼び起こす場所に他なりません。
1期・2期の草創期からのメンバーも全員卒業し、早約2年。その直接の血を受け継いだと言っても良い3期メンバーも卒業ラッシュが続き、新たな6期生も入って世代交代も進むなか、変わっていくものと変わらぬもの、ありし日々があったからこその今に受け継がれる自分たちを改めて見直している時期にも来ているのでしょう。そして、いまこのメンバーで活動ができる時間はこれまでとこれからの乃木坂から見てもわずかな瞬間であり、生まれも育ちも違う彼女たちがその瞬間にひとつにいられる瞬間は奇跡とも呼べるものでしょう。この先の人生を歩み出す彼女たちにとっては、乃木坂46という存在はまさにネーブルオレンジのように、繰り返し思い出してはかけがえのない空間だったことを想起させる場所になっていくのだと思います。
●最後に~書いてみての感想
はじめは短くまとめて出そうと思っていた本稿でしたが、連想(妄想)が連想(妄想)を呼び、気がづけばこんなにも長くなってしまいました。
繰り返しになりますが、本稿で書いた聴き方・見方・考え方はあくまで私見に過ぎません。聴く人によって色んな感じ方、聴き方をさせる懐をもっているのがこの楽曲であり、何より乃木坂の魅力だと思っています。ぜひ、たくさんの方にたくさん聴いてほしい一曲ですね。